Ⅱ 第256回「ダンマパダ356-359」

Dhp356~359雑草


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句356-359」

もろもろの
田畑(たはた)は、

雑草(ざっそう)に
害(そこな)われ


この世()の
人々(ひとびと)は

貪(むさぼ)り、
怒(いか)り、
愚痴(ぐち)、

欲望(よくぼう)に害われる


それ故に

貪り、怒り、
愚痴、欲望を

離(はな)れた人への
布施(ふせ)は

大きな果報(かほう)を
結(むす)びます





【場所】ブッダが住んでいた三十三天の王座=帝釈天の座

【誰のこと】アンクラ神





【原因と結果】

インダカ神はかつて、
托鉢行のため村の中に入った、

アヌルダッタ長老に、
自分が持っていた、

わずかスプーン一杯の
托鉢食を供養・布施しました。


煩悩を滅し尽くした
漏尽者(ろじんしゃ)に供養・布施した、

インダカ神の「功徳」は、
大変大きな「果報」を生みました。


それは、
アンクラ神が1万年のもの間、

144kmの長い竈(かまど)の
列(れつ)を作って、

インダカ神に施した
食事の供養・布施よりも

大きな果のあるものとなりました。


そこで
ブッダは、アンクラ神に言いました。


ブッダ:
「アンクラよ、布施は、
よく考えて行わなければなりません。


よく考えて行われた布施は、
すぐれた田に播()かれた

種のように、
果の大きなものになります。

布施は、よく考えて行われなければ、
果の大きなものにはなりません」」 と。




【教え】

穀物や野菜の田畑は、
稗(ひえ)や草などが生えれば、

汚(けが)され・害(そこな)うため、
豊作にはなりません。


ちょうどそのように、
人々の内に起る

貪り・怒り・
気づきのない愚かさ(愚痴)=煩悩、欲望は、

自分自身を含めて、
生けるものたちを汚(けが)します。


それ故に、
愚かな者が、

愚かな者へ施(ほどこ)しを行っても、
大きな「果報」とはなりません。


けれども、

貪り・怒り・
気づきのない愚かさ(愚痴)=煩悩、

欲望を離れた人、
煩悩の滅し尽くした人・

漏尽者への供養・布施は、
大きな「果報」となります。



私たちは、
何かを手放す事

[断・捨・離]
を恐れる事があります。


つかんでおくものが、何もないと、
不安になるからです。


渇愛・執着・欲が起きたとき、

貪り・怒り・
気づきのない愚かさ(愚痴)=煩悩、欲望は、

起きていないか、と
よく考え、よく観て深く観透(みとお)します。



 正しい集中力があれば、

 正しい気づき
 正しい考え

 正しい言葉
 正しい行動

 正しい努力を実現できます。


以上が「渇愛の章」です。




**********
いつも有難うございます。
暫時お休みをさせていただきます。
再開致しました際には、また
御目通し賜りましたなら、真に嬉しく有難く存じます。
                      合掌



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Ⅱ 第255回「ダンマパダ355」

ⅡDhp355睦月の花


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句355」

財(ざい)は、
愚(おろ)かな者を害(がい)し

彼岸(ひがん)を求(もと)める人を
害さない


愚かな者は、
財への渇愛(かつあい)・

執着(しゅうちゃく)・
欲(よく)によって

他人(たにん)を
害するように

自分自身を
傷(きず)つけ害します






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】息子がいない長者





【原因と結果】

コーサラ国のパセーナディ王は、
ある息子のいない長者が

亡くなった事を聞いて、
大臣に尋ねました。


パセーナディ国王:
「大臣、息子がいない者の
財産は誰のものになるのか?」


大臣:
「陛下、国王さまのものです」


そこで、
パセーナディ国王は、7日間で、

息子がいない長者の家から
財産をすべて王宮に運ばせました。


そして、
ブッダのところへ行きました。


国王は、事の次第(しだい)を話し、
次のように申し上げました。


パセーナディ国王:
「尊師よ、
この息子のいなかった長者は、

ご馳走(ちそう)や、立派な衣服とか、
乗り物などが用意されると、

皆を、土の塊(かたまり)や棒で
打ちつけて追い払い、

屑米(くずまい)の飯(めし)、
酸()っぱい粥(かゆ)を食べ、

粗末な麻(あさ)の衣服を着、
古びた乗り物などを用いていたそうです」



するとブッダは、

その長者の過去世の行いについて、
国王に語りました。


 ―― 昔、長者であった彼は、
   信心深い妻に命じ、

   タガラシキーという聖者・独覚に
   托鉢食(たくはつじき)を供養・布施させました。

   けれども、信心の無かった愚かな彼は、
   タガラシキー独覚の鉢(はち)を覗(のぞ)き、

   上等の食べ物が供養・
   布施されているのを見て、後悔しました。

   「これほど上等の食べ物を、

   奴隷(どれい)や雑役夫(ざつえきふ)が食べれば、
   彼らは、私の仕事をするであろう。

   だが、
   この修行者は、食べて寝るだけに違いない。
   
   無益な施食(せじき)だ」と。


   また彼は、自分の
   兄弟の一人息子と手をつないで散歩していた時、

   その子が
   「これは私の父の乗り物だ、牛だ」などと言ったのを
   聞いて思いました。

   「この子が、
   このように言っていられるのも今のうちだけだ。

   大人になって、
   どうしてこの家の財産を見る事ができようか?」

   と、その子を森へ連れて行き、
   首をひねって殺害しました。


   確かに 彼は、
   タガラシキー独覚に托鉢食を供養・布施したため、

   その果報によって天界に7回、また長者に7回、
   生まれ変わりました。

   しかし
   その供養・布施を惜しみ後悔したため、

   食べたり、着たりするなどの「5種の妙欲」を
   [世俗の人たちのように]楽しむ事ができませんでした。

   また、兄弟の
   一人息子を亡き者にしたため、永い、永い間、

   地獄で苦しみを受け、子もなく、財産も没収され、
   今も地獄で苦しんでいます ―― と。




【教え】

確かに
財産は、愚かな者たちを

渇愛・執着・貪欲などによって
害する事があります。


しかし もろもろの財が、
魔の縛り・執着、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=煩悩を
根こそぎ滅し尽くした「涅槃」と言う

「彼岸」を求める人々を
害する事は、決してありません。



「智慧」の無い者は、
財産によって起る渇愛・執着・欲によって、

他の者たちを、
傷つけ害してしまいます。


その上、

自分自身をも害する結果に、
必ずなってしまいます。



ブッダの教えの根幹(こんかん)は
原因があって、結果がある」です。


眼に見えるか 眼に見えないか、
速いか 遅いかは 別です。





Ⅱ 第254回「ダンマパダ354」

Dhp354円空仏


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句354」

法(ほう)を説()く
布施(ふせ)「法施(ほうせ)」は

あらゆる布施に勝(まさ)り


法の味(あじ)
「法味(ほうみ)」は

あらゆる味に勝り


法の楽(たの)しみ
「法楽(ほうらく)」は

あらゆる楽しみに勝り


渇愛(かつあい)・
執着(しゅうちゃく)・
欲(よく) の滅尽(めつじん)は

あらゆる苦(くる)しみに
打()ち勝ちます





【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】神々の王・帝釈天(サッカ)




【原因と結果】

ある時、
三十三の神々が集まり、

4つの問題を持ち上げました。


1.「布施の中で何が最上か?」

2.「味の中で何が最上か?」

3.「喜びの中で何が最上か?」

4.「渇愛・執着・欲の滅尽(めつじん)は
  なぜ最上か?」 と。


けれども、どの神も
説き明かす事ができませんでした。


神々は、
それらの解決を求めて12年間、

1万もの鉄囲山(てっちせん)を
歩き回りましたが、

解決を見る事はできませんでした。



そこで、すべての神々は、
四天王のところへ行って尋ねました。


けれども、
四天王にも分かりませんでした。


次に、
帝釈天(たいしゃくてん)のところへ行きました。


帝釈天は言いました。

帝釈天:
「皆さん、これらの事は、
誰にも分かりません。

ブッダの境地(きょうち)に
関(かか)わるものです」



帝釈天は、
大勢の神々とともに夜分、

ジェータ林へ行き、
ブッダを礼拝して、片側に坐りました。


帝釈天は、
ブッダに、どの神々も長い間、

4つの問題の解決を求めたけれど、
解決できなかった事などを申しあげました。


帝釈天:
「尊師よ、どうか

これら4つの意味を、
私たちに説き明かしてくださいますように」


ブッダは言われました。

ブッダ:
「神々よ、分かりました。

タターガタは「波羅蜜」を満たし、
大きな「棄捨(きしゃ)」と

「布施(ふせ)」を行って、
そのような疑問を晴らすために、

一切を知る「知智」に
達したのですから。


あなたたちの問いのうち、

1. あらゆる「布施」の中で
 「法の布施(法施)」が、最上です。

2. あらゆる「味」の中で
 「法の味(法味)」が、最上です。

3. あらゆる「楽しみ」の中で
 「法の楽しみ(法楽)」が、最上です。

4. 渇愛・執着・欲の滅尽は

 「阿羅漢果」に達するものですから、
 最上です」


そして、
この詩「法句354」を唱えられました。


そのとき、
8万4千の生けるものは
」を理解し、覚りました。


帝釈天は、
ブッダの話を聞いて

ブッダを礼拝して、こう申しあげました。


帝釈天:
「尊師よ、そのように
「法施」が最上でありますなら、

今後、尊師は、
修行僧たちのために「」を多く語っていただき、

[神々もそれを聴く事ができるので]
私たちにも「功徳」を与えてくださいますように」


ブッダはこれを聞いて、
修行僧たちを集めて言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、今からは、

大きな「」を聞く時でも、
普通の「」を聞く時でも、

また、
近くに坐って行う[]話でも、

[]喜びを
語るものであっても、

すべての生けるものに
功徳」を与えるようにしなさい」

[を説く事も、唱える事も、聞く事もすばらしいからです] と。




【教え】

「法を説き示す「法施」は、
あらゆる布施に勝ります」とは。

たとえば、ブッダや、阿羅漢に、
立派な衣を「布施」したとします。

けれども、
その衣が、どんなに立派なものであったとしても

「法施」:「四句の詩」によって説き示される
「教え・法」の喜びの方が、

それより、勝(すぐ)れているのです。


なぜなら
[物質的な]「布施」は、

「四句の詩」を聞いた喜び[法施]の
16分の1にも値(あたい)しないからです。



「法の味[法味]はあらゆる味に勝ります」とは。

もしも、人々に
」を聞く事が無ければ、

わずか、スプーン一杯の粥(かゆ)も
施(ほどこ)す事は無いでしょう。



確かに
智慧をそなえたサーリプッタ長老も、

初めは自分自身で、
聖者の流れに入る

「預流果(よるか)」に達する事は
できませんでした。


しかし
アッサジ長老によって語られた

」を聞いて、
」を目のあたり見て、

聖者の最初の境地に、達したのです。



苦しみを滅し尽すために練修する人は、
ブッダの「教え・法」の集大成である

「三十七菩提分法
(さんじゅうしちぼだいぶんほう)」を実践します。


三十七菩提分法」:

四念処(しねんじょ)」―「身体・感受・心・法(心に起こるものすべて)」
           今の心を順々にこれらに集中します。


四正勤(ししょうごん)」― まだ、生じていない悪・不善が生じないように
            すでに、生じている悪・不善が断たれるように

            まだ、生じていない善が生じるように
            すでに、生じている善が増大するように

            「意欲、努力、精進、心」を堅固にして
            自身を励(はげ)まし、勤(つと)めます。


四神足(しじんそく)」―「意欲、精進、心、観察」によって起こる
           精勤となる力をそなえた基礎を修習します。
          

五根(ごこん)」― 「信根、勤根、念根、定根、慧根」を
         煩悩の静まり、寂静のため、正しい覚りに
         いたるために修習します。


五力(ごりき)」― 「信力、精進力、念力、定力、慧力」を
         寂静、正覚にいたるために修習します。


七覚支(しちかくし)」―「念、法の吟味、精進、喜び、軽快、禅定、平静」を
           一切の煩悩の防止のために
           遠離、消滅、滅尽、棄捨に基づいて修習します。
          

聖八正道(せいはっしょうどう)」―「正見・正思惟・正語・正業・
               正命・正精進・正定」に努めます。
                (『中部経典 第77』「大サクルダーイ経」)



「法の楽しみ[法楽]は、
あらゆる楽しみに勝ります」とは。

ブッダの「教え・法」を
練修する事によって、

智慧」に達して、苦しみを滅し尽して、
苦の終わりを完成させるからです。


息子や娘や、
財産に対する楽しみや喜びは、

行ったり来たりする「6つの世界」
「六道輪廻(りくどうりんね)」

「天上、人間、地獄、餓鬼、畜生、修羅」の
苦しみを受ける条件()になります。



「渇愛・執着・欲の滅尽は
あらゆる苦しみに打ち勝ちます」とは。

」を説いたり、聞いたりすれば、
内なる楽しみが生じて、感動します。

「教え・法」を練修します。

やがて
「6つの世界」「輪廻」を終結させて、

「道」の成就・完成に達する事になります。


自分自身を含めて、
すべての生けるものに「功徳」を与えます。





Ⅱ 第253回「ダンマパダ353」

Dhp353転法輪経


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句353」

私は世間(せけん)・
出世間(しゅつせけん)の

すべてを知()る者
[全智者]

世間の法(ほう)
「三界(さんがい)の法」を

すべて征服(せいふく)し
捨断(しゃだん)した者

どのような法にも
染()まる事がありません


渇愛(かつあい)が
滅尽(めつじん)し

解放(かいほう)され
解脱(げだつ)した者

知るべき法を
自(みずか)ら知る者ですから

誰(だれ)を師()に
指定(してい)できるでしょうか





【場所】ブッダが成道後、ベナレスへ行かれる途中

【誰のこと】ブッダが、邪命者ウパカの問いに答えて
      



【原因と結果】

ブッダは、
真理を明らかにされた成道後(じょうどうご)、

一切の知智(ちち)を得て
菩提樹(ぼだいじゅ)の下(もと)、

菩提座(ぼだいざ)で
7週間(49日間)を過ごしました。


その後、衣と鉢を持って、
初めて「」を説くために、

ベナレスに向かって
216kmの道を進みました。


その途中
[菩提樹とガヤーの都との間]で、

邪命者(じゃみょうしゃ)のウパカを見ました。

ウパカもブッダを見ました。


ウパカは、
ブッダに尋ねました。

ウパカ:
「友よ、
あなたの感覚器官は澄んでいます。

皮膚の色は清らかで純白です。

友よ、あなたは
誰を指定して出家したのですか?

あなたの師は誰ですか?」



ブッダは言われました。

ブッダ:
「私には、和尚も師匠もいません」

そして、この詩
「法句353」を唱えられました。


詩が唱えられるのが終わると、

ウパカは、特に喜ぶ事も
貶(けな)す事も無く、

ただ、頭を振り一本道に入り、
ある猟師の住処に向かいました。




【教え】

「征服した者」とは。

ブッダは、
世間の三界「欲界・色界・無色界」の法を
すべて断ち、捨て、離れた人です。


また、三界世間と、
出家の出世間の「」を

すべて
「知る者」「全智者」です。


三界」:
 欲界― 欲に執着する世界
 色界― 自分自身の身体に執着する世界
 無色界―精神・心に執着する世界



「三界の法をすべて捨断した者」とは。

どのような「三界の法」に対しても、

渇愛(かつあい)・
慢心(まんしん)・
邪見(じゃけん)によって

染()まる事がありません。


また
「渇愛・執着・欲を滅し尽くした」

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達しています。



「解放され解脱した者」とは。

もう学ぶものが無い、
無学の解脱」により

解()き放(はな)たれた人です。

それ故に
「誰を師に指定できるでしょうか?」 と。



ブッダは
「覚り」「智慧」を得た後、

梵天(ぼんてん)に「」を説く事を
3度、強く勧められました[梵天勧請]。

その「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」によって、
生けるもの・人々すべてに

」を説く
決心・決意をしました。


そして、ベナレスの都に近い

イシパタナの鹿園林(ろくおんりん)で、

かつての修行仲間の
5人の修行僧に、

初めて「教え・法」を説きました。



それは、
聖なる4つの真理

「四聖諦(ししょうたい)」:
苦・集・滅・道


そして「中道」である
「聖八正道」:

正見・正思惟・正語・正業・
正命・正精進・正念・正定
」という

ブッダの教えの根幹をなす

『転法輪経(てんぼうりんきょう)』を
説かれました。

これを
「初転法輪(しょてんぼうりん)」といいます。



ブッダの「教え・法」が説き示されたのは、
ここから始まりました。


それ故、今日の私たちも
「教え・法」を学ぶ事ができるのです。





Ⅱ 第252回「ダンマパダ351,352」

ⅡDhp351,352蝋梅


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句351,352」

渇愛(かつあい)を
離(はな)れて、

汚(けが)れ無く

究極(きゅうきょく)に
到達(とうたつ)して、

恐(おそ)れ無く

言葉(ことば)と
語法(ごほう)を

詳(くわ)しく知()り


もろもろの文字(もじ)の
集合(しゅうごう)と

前(まえ)と後(あと)を
知るならば


その人こそ

生存(せいぞん)の矢()を
断()った

最後(さいご)の
身体(しんたい)をもつ人

大慧者(だいえしゃ)、

偉大(いだい)な人と
言われます





【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】悪魔




【原因と結果】

ある日、
多くの長老たちが、

夜にジェータ林に入り、
ラーフラ長老(ブッダの実子)の住まいに行き、

長老を起し、
長老の住まいで休みました。


ラーフラ長老は、
他に住まいを見つける事が

できなかったので、
ブッダの住まいである

香房(こうぼう)へ行き、
その前で横になりました。


その時、ラーフラ長老は、
わずか8歳でしたが、

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達していました。


さて、
悪魔が姿を現して、

ラーフラ長老が、
ブッダの住まいの香房の前で

横になっているのを見て、
考えました。


「沙門ゴータマの
愛(いと)おしい息子は、

外で寝て、
ブッダは香房の中で寝ている。


息子が、
傷つけられ害されたなら、

ブッダも、
傷つけられ害されるであろう」 と。


悪魔は、巨大な
象王の姿を作り出して、

その象の鼻で
ラーフラ長老の頭を取り巻き、

象の雄叫(おたけ)びを
あげました。


ブッダは、香房に坐ったまま、
その悪魔の様子を知りました。


そして言われました。

ブッダ:
「悪魔よ、
そなたのような者が、

10万回そのような事をしても、
タターガタの息子、

ラーフラに恐怖を起す事は
できません。

なぜなら、
タターガタの息子は

恐れの無い、
渇愛・執着・欲の無い、

大精進者、
大慧者だからです」


悪魔は言いました。

悪魔:
「沙門ゴータマは、
私の事を知っている」


畏れおののいた悪魔は、
即座に消え去りました。




【教え】

「生存の矢を断った」とは。

「道」の成就・達成した
[=究極の]人は、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩による「恐れ」が無く、

「渇愛・執着・欲を離れた、
汚れの無い人」です。

一切の執着の世界

三界」に導く
「矢」を断っています。


「最後の身体をもつ人」とは。

「大慧者」は、

心が解き放たれていますから
「偉大な人」であり、これが、

渇愛・執着・欲の世界に生まれる
「最後の身体をもつ人」です。



「前と後をよく知るならば」とは。

「言葉と語法」についての
4つの理解です。

 1.「意味
 2.「― 真理・教え」
 3.「(ことば)― 言葉のつながり」
 4.「(べん)― 理論」

これらに勝れています。


さらに
」の意味をもつ

「4つの法」の根幹を把握する
「智慧」をそなえています。

 1.「戒律」という徳
 2.「禅定」という徳
 3.「智慧」という徳
 4.「解脱」という徳、です。
      (『長部経典 第33』「結集経」)


「4つの法」は、また

「4つの量(はか)る事のできない程の、
無量(むりょう)の心」を、

他のものに向ける
「坐禅瞑想」「禅定」でもあります。

自分自身の心を静める練修です。


「4つの無量の心」:

慈無量心】すべての生きものを慈しみます:
      瞋(いか)りを鎮(しず)めます。

悲無量心】苦しむすべての生きものを憐(あわ)れみます:
      傷つけ害する心を鎮めます。

喜無量心】喜ぶものと一緒に喜びます:
      不快(ふかい)や嫌悪(けんお)を鎮めます。

捨無量心】自分自身の身体と心をそのとおりに
      如実(にょじつ)に観ます:
      貪(むさぼ)りの心を鎮めます。



慈・悲・喜」は、

他のものに対する心、
「慈悲」の練修実行です。


」は、
自分自身の身体・心をよく観ます。

無常という道理をよく観て、
深く観透します。

「法」を観る事。それが「捨」です。


あらゆるものは「無常であり」、
私という固定したものは無い。

他から独立した「我」が無いと
「無我」を知り、

理解する人は、幸せな人です。





プロフィール

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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