Ⅲ 第40回「ダンマパダ53」

ⅢDhp53薔薇


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「ダンマパダ53」


花(はな)の束(たば)から
多(おお)くの

花輪(はなわ)を
作(つく)るように

人間(にんげん)として
生()まれ

滅(めっ)する
性質(せいしつ)のものは

多くの善(ぜん)を
作るがよい






【場所】サーヴァッティの都に近い東園・ミガラーマ殿堂
              (鹿子母講堂 ろくしもこうどう)

【誰のこと】布施第一の在家の女性信奉者ヴィーサカ
                 (ミガーラマーター)





【原因と結果】

ヴィーサカが7歳の時、バッディヤの都に、
ブッダが到着しました。


その時、祖父のメンダカ大長者は、
孫娘ヴィーサカに、こう言いました。


祖父メンダカ:
「ヴィーサカよ、これは目出度いことだ。

500人の少女たちと一緒に、500台の車に乗って、
ブッダをお迎えに行きなさい」



ヴィーサカは、祖父の言葉どおりに、
ブッダを迎えに行きました。


そして、
ブッダのところで「教え・法」を聞きました。


ブッダが「教え・法」を説き終わった時、
ヴィーサカは、

500人の少女たちとともに、聖者の流れに入り、
「預流果(よるか)」に達しました。


同じように、
祖父のメンダカ大長者も

「教え・法」を聞いて、
「預流果」に達しました。



一家の人たちは、在家の信奉者として、
翌日には、

ブッダをはじめとする、修行僧団を家に招待して、
食事の供養・布施を行いました。


それからは半月の間、
食事などの供養・布施をしました。




さて、年月は経過して、話は変わります。


コーサラ国のパセーナディ王は、
マガダ国のビンビサーラ王の領土には、

計り知れないほど、莫大な財産をもっている、
5人の長者がいる事を知りました。


そこで、パセーナディ王は、ビンビサーラ王に、
そのような大きな功徳のある長者を、

自分の国に来てもらって、
大布施をして欲しいとお願いしました。


女性信奉者ヴィーサカの父親の、
ダナンジャヤ長者が、行く事になって、

ヴィーサカも一緒に、
大勢の従者をともなって出発しました。



途中、
ダナンジャヤ長者一行は、

サーケータの都にしばらくの間、
留(とど)まる事になりました。



その頃、
コーサラ国の首都

サーヴァッティには、
ミガーラ長者が住んでいました。


ミガーラ長者には、
結婚適齢期の、

プンナヴァッダナという息子がいました。


そのプンナヴァッダは、
「5つの条件」―

美しい髪、美しい唇、美しい歯、
美しい肌、美しい若さ ―

を満たしている女性を、
妻として求めていました。


ミガーラ長者は、

息子の結婚相手を探すため、
108人のバラモンの人たちを招いて、

彼らに「5種の条件」に合う女性を
探して欲しい、と頼みました。


108人のバラモンの人たちは、
ありとあらゆる処を探しました。

けれども、
見つける事はできませんでした。


最後に、サーケータの都に行きました。

そこで、ヴィーサカを見ました。


「彼女こそ、
5種の条件をそなえている女性だ」と知って、

直ちにミガーラ長者に報告しました。



そして、ヴィーサカと、
ミガーラ長者の息子、

プンナヴァッダナの
結婚の話が、まとまりました。




婚約が調って後、
ヴィーサカの父親のダナンジャヤ長者は、

娘の結婚後に、
どのような不足があってもならないと、

4ヶ月間かけて、あらゆる準備をしました。



最後に父親として、
嫁ぎ先での、守るべき

10種の行儀作法(ぎょうぎさほう)を教え、
諭(さと)しました。


ヴィーサカの父親:
「娘よ、おまえが結婚した家で暮らす時の、
守るべき10種を教えます。


 1. 義理の父母や、夫の過ちを見ても、外では話さない事。
 2. 義理の父母や、夫の過ちを外で聞いても、内では話さない事。
 3. 借りたら、返すこと。人には与える事。
 4. 借りを返さない者には、与えない事。
 5. 貧しい人には、借りを返しても、返さなくても与える事。
 6. 義理の父母と、夫が座った後に、座る事。
 7. 義理の父母と、夫が食べた後に、食べる事。
 8. 義理の父母や、夫が寝床に入ってから、寝る事。
 9. 義理の父母や、夫の行いを、火を守るように守る事。
 10. 義理の両親と夫を、神のように見なす事」




それからヴィーサカは、
ブッダ以前の仏、カッサパ仏が

「布施波羅蜜(ふせはらみつ)」を満たした
果報(かほう)として得られた

大葛(おおかたびら 葛 (くず)の繊維を織って作った衣) という、
絢爛豪華(けんらんごうか)な衣装をまとって、

サーケータの都を出発して、
サーヴァッティの都のミガラーマ家に向かいました。


その沿道では、あらゆる人々が、
祝福の言葉と、祝いの贈りものを届けました。


ヴィーサカは、
その贈りものすべてを、人々に分け与えました。


やがて、
盛大な結婚式と披露宴が行われました。




その頃ブッダは、

ヴィーサカの嫁いだ
ミガーラ家の近くに住んでいました。


婚家の義理の父ミガーラ長者は、
近くに住んでいる

ブッダの事は、
まったく考えもしませんでした。



義理の父は、長い事
奉仕している裸(はだか)で行ずる

修行者たちに敬意を示すため、
500人を招待しました。


そこで、尊敬・供養に値する
阿羅漢の者たちに礼拝するように、と

嫁のヴィーサカを呼び寄せました。


けれどもヴィーサカは、

裸の修行者たちを見て、
義理の父に言いました。


ヴィーサカ:
「お義父(とう)さま、

このような恥も外聞(がいぶん)もない者たちに
阿羅漢というものはおりません。


お義父(とう)さまはなぜ、
私をお呼びになられたのでしょうか?」


裸の修行者たちは、怒り、

ヴィーサカを
この家から追い出すように求めました。


確かに ミガーラ長者も、
そのように決心しました。


しかし ヴィーサカは、

義理の父ミガーラ長者に、
正しい理解をしてほしいと思って、

8人の後見人(こうけんにん)をともなって、
彼女の父親の

ダナンジャヤ長者が教え諭した
「10種の行儀作法」を丁寧に説明しました。



それから、ヴィーサカは、
婚家(こんけ)を出るために、

召使たちに
「すぐに乗り物などを用意するように」と、命じました。



義理の父ミガーラ長者は、
ヴィーサカの語った言葉

「10種の行儀作法」に、
自分の誤りを知りました。

そして、ヴィーサカに、深く詫びました。


ヴィーサカは、
義理の父ミガーラ長者に言いました。


ヴィーサカ:
「お義父(とう)さま、私は

ブッダの教えに、
絶対的な信仰をそなえている家の娘です。


私たちには、

ブッダとブッダの修行僧団をなくして、
生きていく事はありえなのです。


もしも、私の思いのままに、

ブッダの修行僧団のお世話をする事を、
お許しいただけましたなら、

私はこの家に留まり、
住まわせていただきたいと思います」



ミガーラ長者は、これを認めました。


それから、
ブッダと修行僧団を家に招待して、

供養・布施をして「教え・法」を聞きました。


やがて、ミガーラ長者も、
ブッダの教えによって、

揺らぐ事の無い、
不動の信仰を確かにしました。


そして、聖者の最初の境地
「預流果」に達しました。



その時、
義理の父のミガーラ長者は、

嫁のヴィーサカに言いました。


ミガーラ長者:
「ヴィーサカよ、
今日からあなたは、私ミガーラの母(マーター)です」


そして、ヴィーサカを、
ミガーラ長者の母の地位に、置きました。


それ以来、ヴィーサカは

「ミガーラの母=鹿子母(ろくしも)」と
呼ばれるようになりました。



後に、女性信奉者ヴィーサカは、
東園のミガーラマーター殿堂(でんどう)

「鹿子母講堂(ろくしもこうどう)」という
精舎を建立しました。



布施第一の男性信奉者
アナータピンディカ長者の建立した

「祇園精舎」に次ぐ精舎で、

ブッダは、コーサラ国に滞在する時は、
いつもこの2つの精舎に住まわれました。



ブッダは、ヴィーサカを称(たた)えられました。

「ヴィーサカは、常にいろいろの
「善を作る心」をもっている人。


真(まこと)の善の人、
功徳(くどく)の人です」 と。 



ヴィーサカは、120歳まで生き、
最期まで若々しく、まさに

「5つの美の条件」をそなえていた
女性であったと言われます。





【教え】

この身が、滅するものとして
生まれた人間は、

修行僧たちに、食事の供養や、
衣の「布施」などの、

多くの「」「功徳」を作る事ができます。



人は、その人の財の多・少に関係なく

「信」によって
布施をする事ができます。


」とは、教えを深く理解する事。



「布施波羅蜜(ふせはらみつ)」について。

菩薩(ぼさつ)・仏になるために
修行している者が、修行する

「六つの波羅蜜」という
実践項目があります。


 1. 布施(ふせ)波羅蜜 ― 施(ほどこ)す、与える事
 2. 持戒(じかい)波羅蜜 ― 戒を守る事
 3. 忍辱(にんにく)波羅蜜 ― 耐え忍ぶ事
 4. 精進(しょうじん)波羅蜜 ― 怠けないで努力する事
 5. 禅定(ぜんじょう)波羅蜜 ― 坐禅瞑想
 6. 智慧(ちえ)波羅蜜 ― 正しく観る智慧
            四つの聖なる真理「苦・集・滅・道」や
            「原因と結果の法則」を正しく知って観る。
          
            智慧を働かせておさめる事です。



善い行いを積む「功徳」は、
安らぎ、楽となります。

それは、自己救済となります。







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Ⅲ 第39回「ダンマパダ51,52」

ⅢDhp51et52酔芙蓉


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「ダンマパダ51,52」


色(いろ)麗(うるわ)しく
美(うつく)しい

芳香(ほうこう)のある
花(はな)のように


練修修行(れんしゅうしゅぎょう)
する人には

善()く語(かた)られた
言葉(ことば)は

実(みの)りがあります






【場所】サーヴァッティ(舎衛城、祇園精舎)

【誰のこと】在家の男性信奉者チャッタパーニ





【原因と結果】

サーヴァッティの都に、

チャッタパーニという
在家の男性信奉者がいました。


チャッタパーニは、
ブッダの教えを「三蔵」にまとめた

「経蔵」「律蔵」「論蔵」
(きょうぞう・りつぞう・ろんぞう)

を大変詳しく知り、
深く理解していました。


また
[もう煩悩のある世界には戻る事が無い]

「不還果(ふげんか)」の
境地に達した聖者でした。



ある時、チャッタパーニは、

ブッダの近くに行って礼拝して、坐り
「教え・法」を聴くところでした。



その時、
コーサラ国のパセーナディ王が、

ブッダの「教え・法」を聴くため、また
奉仕するためにやってきました。



チャッタパーニは、
国王がやってくるのを見て、考えました。

確かに 
 [法の]最上王である

ブッダの近くに、私は今、坐っている。


しかし 
国王を見て立ち上がったなら、

国王が尊敬されて、
ブッダが尊敬されない事になる」 と。


チャッタパーニは、
立ち上がりませんでした。



国王は、
チャッタパーニが立ち上がらないのを見て、

内心、腹を立てつつ、
ブッダを礼拝して坐りました。



ブッダは、
国王が腹を立てている事を知って、

チャッタパーニの「」を
称(たた)えて言われました。


ブッダ:
「大王よ、この人は、

「三蔵」:経蔵・律蔵・論蔵を詳しく
知り尽くしています。

「教え・法」を観とおした賢者です」


ブッダが、チャッタパーニの
「徳」を称える言葉を聞いた

パセーナディ国王は、

心が直(ただ)ちに和(なご)み、
穏(おだ)やかになりました。



ある日、国王は、
ブッダが「徳」を称えた、チャッタパーニに

「ブッダの教え・法」を説いてくれるように
求めました。


けれども、チャッタパーニは、
国王の求めを、へりくだって辞退しました。



パセーナディ国王は、
ブッダのところへ行き、お願いしました。


パセーナディ国王:
「尊師よ、どなたかに、

マッリカー王妃と、
ヴァーサバ王女のために

「教え・法」を説いては
いただけませんでしょうか?」


ブッダは、アーナンダ長老に、
その役目をまかせられました。


アーナンダ長老は、
王妃と王女に「教え・法」を説き示しました。



ある時ブッダは、
アーナンダ長老に尋ねられました。


ブッダ:
「アーナンダよ、王妃と王女はどのように
「教え・法」を学んでいるのですか?」


アーナンダ長老:
「尊師よ、
確かに マッリカー王妃は、

礼儀に適って恭(うやうや)しく受け、
丁重(ていちょう)に学んでおります。


しかし
ヴァーサバ王女は、そうではありません」



するとブッダは、言われました。


ブッダ:
「アーナンダよ、
聖者によって語られた「教え・法」は、

恭(うやうや)しく聞かない者、
受けない者、学ばない者には、

たとえば、花に、どんなに
美しく輝くような、色や形があっても、

香りがないように、
学んだ事に、実りの成果が無いのです。


けれども、恭(うやうや)しく聞く人、
受ける人、学ぶ人には、

大きな「功徳(くどく)」のあるもの、

実りのある成果が
もたらされるのです」 と。







【教え】

「よく語られた言葉」とは。

ブッダの語った言葉をまとめた
「三蔵」:「経蔵」「律蔵」「論蔵」をいいます。


経蔵」とは、ブッダの教えをまとめた経典。

律蔵」とは、ブッダの定めた規則・戒律をおさめた経典。

論蔵」とは、経蔵や律蔵が、
       ブッダの説かれた教えや規則であるのに対して、
       聖なる賢者が「教えや法」の意味を論じ述べたものです。




「練修修行する人には」とは。

「教え・法」を丁重に聞き、学び、
実践する人には、

聞く香りも、
語られた言葉の香りも、

」の香りをもたらします。

大きな「功徳」のあるものとなります。



「実りあるもの」とは。

自分自身の
「真の助け」となるものです。


真の助けは、今、ここで、

静かになり、静かに坐る事に
よってもたされます。


坐禅堂(ざぜんどう)に行ってとか、
どこか静かな処へ行って…と

「場所」を選ぶ事はありません。


いつから~、と
「時」を選ぶ事もありません。


今、ここ、
この生きている、
すばらしい瞬間を感じます。

を、喜び、楽しみます。





  人生の課題から逃げないで
  それに直面しようと決心をすること、
  それを可能にする勇気を持てる援助をすること…

      (『アドラーをじっくり読む』中公新書ラクレ p.211)







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Ⅲ 第38回「ダンマパダ50」

ⅢDhp50朝顔


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「ダンマパダ50」


他者(たしゃ)がする事、
しない事

他者の過失(かしつ)を
観()ないがよい

自分自身のする事、
しない事

ただこれだけを
観るがよい






【場所】サーヴァッティ(舎衛城、祇園精舎)

【誰のこと】パーヴェッヤ裸行者(らぎょうしゃ 裸で修行する者)




【原因と結果】

サーヴァッティの都の
ある裕福な女性が、

パーヴェッヤ裸行者を
自宅に迎えて、

息子として世話をしていました。


ある時、
その裕福な女性は、

ブッダの評判を聞き、
ブッダを自宅に招待しました。


けれども、その裸行者は、
彼女が、

ブッダの「教え・法」を聞く事に、
大変嫉妬(しっと)しました。



彼女が、
ブッダの「教え・法」を聞いていると、

隣の部屋で坐っていたその裸行者は、
突然出てきて、

ブッダと
彼女を罵(ののし)りました。


彼女は、裸行者のその言葉を
非常に恥ずかしく思いました。


心が乱れて、
教えを理解して、

智慧を得る方向に向かう事が、
できませんでした。


そこで
ブッダは、彼女に言われました。

ブッダ:
「信奉者よ、このような

異なる教えの者の言葉に、
耳を傾けるべきではありません。


自分自身のする事、
しない事だけを

観るようにするのです」 と。





【教え】

「他者の過失を観ないがよい」とは。

他者の
誤った、荒々しい、

聞くに堪えない言葉に
意(こころ)を注ぐべきではない。


自分自身のする行いを
「三相」:

無常の相」
苦 (不安定)の相」
無我の相」

でよく観て、
深く観透(みとお)しているか、

観ていないか、を
知る事が大切です。



「三相」:

 1. 生じたものは滅する性質のもの―
  常に変化しています(無常の相)。

 2. 「原因と結果の法則」を理解します―
   常に変化しているから
   安定し続ける事は難(むずか)しい(の相)。

 3. 我見―私の考え
   愛着―私のもの
   慢心―私がいる

 これらの「私・自己」という
 固定したものは無い。

 これらは実体の無いもの、
 だから無い、と気づきます。

 他から独立した(自我)がある
 という考えが捨てられたら、

 すべてのものが相互に関わり合って、
 自然(じねん)に

 他とともに生きている事を知ります。

 私たちは
 他のものに支えられて生きています(無我の相)。


自分自身に命令して、
思いどおりになる、という

私()は無い、という根拠です。





  自分や世界をどんなふうに見てもいいはずなのだが、
  それが自分にしか通用しないのは問題である。
  もしも人が一人で生きているのであれば
  それでもいいだろうが、
  実際には人は他者と共生しているのである。
  
    (『アドラーをじっくり読む』中公新書ラクレ p.207)







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Ⅲ 第37回「ダンマパダ49」

Dhp49花と蜜蜂


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


 
  「ダンマパダ49」


蜜蜂(みつばち)が
花(はな)の色(いろ)も

香(かお)りも
損(そこ)なう事なく

蜜(みつ)を集(あつ)めて

花から
飛()び去()るように

牟尼(むに)は

村(むら)では
そのように行うのがよい






【場所】サーヴァッティ(舎衛城、祇園精舎)

【誰のこと】コーシヤ長者と
      マハーモッガッラーナ(大目連)長老





【原因と結果】

コーシヤ長者は、
大変けちで、物惜しみをする人でした。


他の人には、
たとえ草の葉一枚、

一滴の油や水さえも、
与えようとはしませんでした。



けれども、ブッダは、
コーシヤ長者が、

彼の妻とともに、
聖者の流れに入る、最初の境地

「預流(よる)」の
近くにいる事を観ました。


そこで、マハーモッガッラーナ長老に、
コーシヤ長者の

「大変けち、物惜しみ」を
直すように命じました。



マハーモッガッラーナ長老の、
何事でもなす事のできる

霊妙(れいみょう)な力・
神通力(じんつうりき)によって、

コーシヤ長者と彼の妻は

「大変けち、物惜しみ」を改めて、
「預流果(よるか)」に達しました。



そして、長者夫妻は、
修行僧団に、大布施を行いました。



ブッダは、
マハーモッガッラーナ長老の

」を称えて、言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、

在家の人たちを
教え、導(みちび)こうとする人は、

在家の人たちの、

信仰を損(そこ)ねる事が無く、
富(とみ)をも損ねる事が無く、

疲れさせる事も無く、
悩ませる事も無く、

ちょうど、蜜蜂が、
花の蜜を集めるように近づいて、

正しい「教え・法」を、
教え導くようにするのです。


私の息子マハーモッガッラーナは、

間違いなく確かに、
そのように教え導いている人です」 と。






【教え】

「牟尼(むに)は、
村ではそのように行うのがよい」とは。

修行僧が、托鉢行(たくはつぎょう)を
行うの時の心得(こころえ)です。


托鉢行とは。

1. 食事の供養・布施を受け、謙虚(けんきょ)に
  人々と接して「」を伝える事です。


2. 正しい「法の教え」を示して、
  皆が、それぞれの体験を通して、 
  ものごとの真のありようを知る、手助けをする事です。


3. 慈しみによって、生きとし生けるもの・
  人々を「理解と慈愛に導く修行」です。




「理解と慈愛に導く修行」とは。

」の修行中の、
まだ学ぶ事のある有学の人であっても、

智慧」を成就して、
もう学ぶ事の無くなった無学の人・牟尼(むに)でも、

他の人に「教え・法」を
説いて示す「慈悲」の実践です。



ブッダの教えは
智慧と慈悲」です。





  …人が人生の課題に取り組めるという自信を
  持てるよう援助することである。
  これを「勇気づけ」という。
   
(『アドラーをじっくり読む』中公新書ラクレ p.208)








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Ⅲ 第36回「ダンマパダ48」

usi13s.jpg
(『さがしてごらんきみの牛』マ サティヤム サヴィタ著 禅文化研究所より転載)


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「ダンマパダ48」


花(はな)を摘()む事に
夢中(むちゅう)になって

心が執着(しゅうちゃく)
している者は

もろもろの欲(よく)に
満足(まんぞく)しないままに

死神(しにがみ)に
征服(せいふく)されてしまいます







【場所】サーヴァッティ(舎衛城、祇園精舎)

【誰のこと】夫を供養する人と呼ばれた女性





【原因と結果】

三十三天界で起こった話と
言われています。


「花輪(はなわ)を運(はこ)ぶ者」
という名前の天子(てんし)が、いました。


その天子は、
1,000の天女(てんにょ)に囲まれて、

花園(遊園)に入りました。


1.000の天女のうち、
500の天女は、木に登って花を落として、

他の500の天女は、落ちた花を集めて
「花輪を運ぶ天子」を飾っていました。



そのうち、
一人の天女が、

木の枝から落ちて、
亡くなってしまいました。


その天女の身体は、
灯火(ともしび)のように消えてしまいました。


そして、その天女は、
サーヴァッティの都の、

ある家柄の良い家の娘に、
生まれ変わりました。



彼女は、前世の事を
記憶していました。


やがて成長して、
修行僧団に、

香や花輪などの供養をしつつ、

再び、もとの
「花輪を運ぶ者」という天子の

夫のところへ、
戻りたいと願いました。



16歳で、他家(たけ)に
お嫁に行きました。


嫁いだ家においても、

修行僧たちに、
食事の供養・布施をし続けました。


そして言いました。

彼女:
「尊者たちよ、この供養が、

前の夫のところに生まれ変わるための、
功徳になりますように」 と。


そのため彼女は
「夫を供養する人」と呼ばれました。


それから彼女は、
4人の子供の母親となって、

多くの時間と歳月が、過ぎて行きました。


家では、
修行僧たちに、食事の供養・布施をして、

ブッダの「教え・法」を聞いて、
戒を守っていました。


そんなある日、
彼女は、一日の終わりの瞬間に、

ある病気のために、
亡くなってしまいました。


そして天界の、

もとの夫の天子のところに、
生まれ変わりました。



天界では、彼女が
人間界で過ごしていたその間、

他の天女たちが
「花輪を運ぶ者」という天子を飾っていました。



生まれ変わった
彼女に会った天子は、

彼女から人間界での話を聞いて、
思いました。


「100年という人間の寿命は、

天子にとっては、
ほんのわずかの一日にも満たない。


寿命が僅(わず)かである
人間にとって、

怠け・放逸(ほういつ)は、
本当に相応(ふさわ)しくない」 と。





翌日、修行僧たちは、
彼女が亡くなった事を知りました。


まだ、覚りに達していない
修行僧たちは、

これ迄、彼女がしてくれた
奉仕の事を思って、涙を流しました。


煩悩の滅し尽くした、
聖者の修行僧たちは、

彼女を動かした
「法」に感動を覚えました。


修行僧たちは、
彼女がどこに生まれ変わっているのかを、

ブッダに尋(たず)ねました。


ブッダは、彼女が、
三十三天界の天子の夫のところに

生まれ変わっている事を語って、
このように言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、

生けるものの生命(いのち)は、
非常に短いのです。


それ故に、
どのような欲望があったとしても、

得られていないものを、
欲しい、欲しいと

執着し続ける事を止めましょう。


今、ここに満足しましょう。


もしも、欲は少なく、
足る事に満足していなければ、

欲望(よくぼう)や、執着(しゅうちゃく)の
虜(とりこ)となってしまいます。


死神は、強い権力を使って、
満足していない者を、

欲望が達せられないように、
圧倒し、服従させます。


そして、
嘆き悲しむ者を捕えて行きます」 と。






【教え】

「花を摘むことに夢中になって」とは。

花輪を作る人が、花園で、

色々な花を集める事に、
夢中になるように、

自分自身の身体に執着したり、
利益にも執着したりして

「妙(たえ)なる欲」という、
花を集めて摘む事です。



私たちの
感覚器官「眼・耳・鼻・舌・身」が

捉(とら)える対象の「色・声・香・味・触」に
執着する事をいっています。



「妙なる欲」とは。

5種の妙欲(みょうよく)
「色・声・香・味・触」です。


 1. には、(しき)―色・形あるもの。
           見えるもの。好みのもの。

 2. には、(しょう)― よい音、良く聞こえるもの。

 3. には、(こう)― よい香りのするもの。

 4. には、()― 美味(おい)しい味のするもの。

 5. には、(そく)― 身体に心地よく触れるもの。




確かに 
私たちは、欲するものを、

たとえ手に入れたとしても、
味わい楽しんだとしても、貯蓄したとしても、

どんなに得ても、得ても、
満足する事は難しいものです。



しかし 
執着・渇愛・欲を知り、

それを
包容する方法[善・功徳を積む]を学び、

小欲知足」を知って、
練修修行するなら…

貪り・怒り・愚痴(ぐち)は、
薄らいで変化して行くでしょう。




時間は、待ってはくれません。

あっ!という間に時が経ち、
一生が過ぎて行きます。








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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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