Ⅱ 第285回「ダンマパダ392」

Dhp392円空仏


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句392」

正(ただ)しく自(みずか)ら
覚(さと)った人によって

説()き示(しめ)された
教(おし)え・法(ほう)を

誰(だれ)から学(まな)んで
知()っても

教えてくれた人を
篤(あつ)く敬(うやま)うべきです

バラモンが
火()を祀(まつ)るように





【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】サーリプッタ長老





【原因と結果】

サーリプッタ長老は、
ブッダの修行僧団に入る前、

アッサジ長老のもとで、
はじめて「教え・法」を聞いて、

聖者の最初の境地
「預流果(よるか)」に達しました。


それ以来、
守り続けている事がありました。


それは「この方向に
アッサジ長老が住んでいる」 と聞けば、

その方向に合掌をし、
横になる時は、

頭をその方向に向けて
臥()していました。



修行僧たちは、
ブッダに報告しました。


修行僧たち:
「尊師よ、サーリプッタ長老は
邪見者(じゃけんしゃ)です。

今でも、
方角(ほうがく)を

礼拝(らいはい)しながら
歩いております」



ブッダは、
サーリプッタ長老に

その事を確認すると、
次のように言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、

サーリプッタは、
方角を礼拝しているのではありません。

アッサジ長老のもとで、
はじめて

「教え・法」を聞いて
「預流果」に達したため、

自分の師匠である、
アッサジ長老を礼拝しているのです。

修行僧が、
師匠によって「教え・法」を

知る事ができたならば、
それは、

バラモンが、
祭り火を礼拝するように、

自分の師匠を
礼拝しなければなりません」 と。




【教え】

ゴータマ・シッダッタは、
しくって、

正自覚者(しょうじかくしゃ)・
ブッダとなりました。



ブッダの「教え・法」とは。

1. 原因と結果の法則:原因があって、それに
          条件()が加わって結果が起る事。

2. 聖なる真理「四聖諦(ししょうたい)」です。



サーリプッタ長老が、
アッサジ長老から教えられ、

聖者の最初の境地
「預流果」に達した、という

有名な詩の
「舎利弗法身偈(しゃりほつほっしんげ)」があります。



ブッダの「教え・法」に出逢う前の
サーリプッタ長老は、

アッサジ長老の托鉢行の
あまりにも静かな佇(たたず)まいから、

長老の師匠
是非、知りたく思い、尋ねました。


アッサジ長老は、
応(こた)えました。


  「 もろもろの「」は原因があって生起します

    如来・ブッダはそれらの原因をも、また

    それらの消滅も説き示します 」
     (「舎利弗法身偈」『律蔵』大篇「大犍度(だいけんど)」)
     (この【原因結果・教え】については「法句11~12」も参照)



「原因結果の法則」は
「四聖諦」によって見る事ができます。


「四聖諦」:

聖諦(結果)― 苦しみがあります
聖諦(原因)- 苦しみの原因[渇愛・執着・欲]があります
聖諦(結果)- 苦しみが解消されました
聖諦(原因)- 苦しみが止まり、滅する道「聖八正道」があります


「聖八正道」は

「戒学」
「定学」
「慧学」

これらの3つの学びにおさめられます。



慧学」(智慧):智慧そのもの
 1. 正見(しょうけん)― 正しく観る智慧。
         「四聖諦」「苦・集・滅・道」や
         「原因と結果の法則」を正しく知って観る。
         「智慧」を働かせておさめる。


 2. 正思惟(しょうしゆい)-正しく考える。「慈悲」の心をそなえた「智慧」。
            自分自身も他の人も害さない、傷つけない考え。



戒学」(戒律):悪から離れる。善いものに向かう習慣。
       身体を動かし生活の中に実践。

 3. 正語(しょうご)- 正しい言葉を語る。

 4. 正業(しょうごう)- 正しい行い。正しい仕事をする。

 5. 正命(しょうみょう)- 正しい生活をする。



定学」(禅定):勝れた心を用いる。勝れた心を作る学び。
       
 6. 正精進(しょうしょうじん)- 正しい努力。正しく勤める。

 7. 正念(しょうねん)― 正しい気づき。正しい今の心。

 8. 正定(しょうじょう)- 正しい集中。禅定。静かに行う。静かに坐る。




自分の人生は、自分自身で
解決していかなければなりません。


けれども、
その中にあって、

他のものや、
他の人に支えられているのを知る事。


また、
他のものや、他の人と

協力し合わなければ
越えられない課題もあります。





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Ⅱ 第284回「ダンマパダ391」

ⅡDhp391蓮華草5


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句391」

身体(からだ)にも
言葉(ことば)にも
意(こころ)にも

悪(わる)い行(おこな)いが
見()られない


三つの処(ところ)を
防護(ぼうご)している人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】マハーパジャーパティー・ゴータミー長老尼
      [ブッダの養母・実母の妹]





【原因と結果】

ブッダの養母の
マハーパジャーパティー・ゴータミー長老尼は、

仏教教団の
最初の修行尼僧として、

蓮華(れんげ)や
薔薇(ばら)の花の

冠(かんむり)をいただく
乙女のように、

この上ない幸せに
ふるえながら、

入団の戒律「具足戒(ぐそくかい)」を
受けました。


その時はブッダが、まだ
修行尼僧の守るべき

8つの規則「八敬法(はっきょうほう)」を
正式に制定していない時でした。


そのため、
ゴータミー長老尼には、

ブッダ以外に、別の
和尚や師匠がいませんでした。



確かに
間もなく、修行尼僧の守るべき

8つの規則「八敬法」が、
制定されました。


しかし 
8つの規則「八敬法」の

制定後に入団した
修行尼僧たちは、話を始めました。


修行尼僧たち:
「友たちよ、

ゴータミー長老尼には、
和尚も師匠もいない。

だからきっと、
お袈裟(けさ)を

和尚か師匠から
受けたのではなくて、

自分自身で、
調達したに違いありません」


修行尼僧たちは、
自分たちと違う

ゴータミー長老尼に対して
不満を抱き、

ゴータミー長老尼とは一緒に、

布薩も、雨安居の終了式も、
行わなくなりました。



そこでゴータミー長老尼は、
この事を

ブッダに申しあげました。


ブッダは、
修行尼僧たちに言われました。

ブッダ:
「修行尼たちよ、
マハーパジャーパティー・ゴータミーには、

タターガタが、8つの規則
「八敬法」を授(さず)けました。


タターガタが、
ゴータミー長老尼の

和尚なのです。師匠なのです。


「身体」
「口(言葉)」
「意(こころ)」

これらの三つに悪い行いの無い、
不善の漏尽者たちには、

」の練修修行に
かかわる規則が、

不行儀(ふぎょうぎ)に
行われる事は、ありません」 と。




【教え】

「三つの処」とは。

私たちには、
3つの行い

「身体・口(言葉)・意(こころ)の行い」が
あります。

 1. (こころ)で思う事
 2. 思った事を言葉()にして言う事
 3. 思った事を手足・身体で行う事



確かに
身体・口(言葉)・意(こころ)

これらの3つに
過(あやま)ちや、

罪(つみ)となる行いがあるならば、
苦しみが生じます。



しかし
4つの悪い世界に導く
「悪しき行為」は

煩悩の滅し尽くした
「漏尽者」には見られません。


4つの悪の世界:

 1. 地獄(じごく)- 苦しみの世界
 2. 餓鬼(がき)- 食べても、食べてもまだ食べたい世界。
        あるいは、食べ物や飲み物がない、苦しみの世界
 3. 畜生(ちくしょう)-理性を失い、本能のままに行う世界
 4. 修羅(しゅら)- 暴言を吐き、いつも喧嘩や争いをしている世界



「身体」「口(言葉)」「意(こころ)」

これらの3つの行いの
根拠となるのは、

6つの感覚器官
「眼・耳・鼻・舌・身・意」が捉える対象

「色・声・香・味・触・法」の好ましい、
妙(たえ)なる欲望です。


 1. には、(しき)―色・形あるもの。見えるもの。好みのもの。
 2. には、(しょう)― よい音、良く聞こえるもの。
 3. には、(こう)― よい香りのするもの。
 4. には、()― 美味(おい)しい味のするもの。
 5. には、(そく)― 身体に心地よく触れるもの。
 6. (こころ)には、(ほう)― あらゆる気持ちよいもの、望むもの。



「バラモン」とは。

好ましい、
妙なる欲望から起こる、

悪・不善の行いの
侵入を防ぐために、

すべての感覚器官は、
防(ふせ)ぎ護(まも)られています。


そのような人は、
貪りの無い、怒りの無い、

気づきの無い愚かさ=煩悩の
無い境地に達するための

「教え・法」によって、
今の自分自身を正しく理解します。


自分自身も、他の人も傷つけないか、
自分自身も、他の人も後悔しないか、を考えます。


自分自身をも、他の人をも深く観ます。

生きるものや、大自然の事が観察できます。


智慧」がしだいに生じてきます。

賢明な生き方ができます。



智慧」は、
恥を知る事(慚 ざん))を離れては生じません。
         (スッタニパータ 第77詩 註釈)

慎(つつし)みを知る人です。





Ⅱ 第283回「ダンマパダ389,390」

Dhp389et390白い蓮と実


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句389,390」

バラモンを
打()ちつけてはいけません

バラモンは、その者を
怨(うら)んではいけません


バラモンのこの利()は
些細(ささい)ではありません


愛(いと)しいものとして
怒(いか)りを起こさず

心(こころ)を抑(おさ)えて

害(がい)する心が
消()えた時(とき)

苦(くる)しみは
静(しず)まります






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】サーリプッタ長老 




【原因と結果】

ある場所で多くの人々が、

サーリプッタ長老の
」について語っていました。


人々:
「ああ、なんと我われの

サーリプッタ長老は、
忍耐力のあるお方だろう!

罵(ののし)られても
打たれても、

ごく僅(わず)か、
微塵(みじん)の怒りも見せない」


すると、
ある邪見(じゃけん)をもっている

バラモンが、尋(たず)ねました。


邪見のバラモン:
「皆さん、
怒らないというのは、誰の事ですか?」


人々:
「バラモンさん、私たちの
サーリプッタ長老です」


邪見のバラモン:
「皆さん、長老を怒らせる者が
誰もいないからでしょう」


人々:
「バラモンさん、そうではありません」


邪見のバラモン:
「皆さん、それでは、私が
長老を怒らせてみましょう」


邪見のバラモンは、

サーリプッタ長老が
托鉢行に入ったのを見ました。



確かに 
邪見のバラモンは、

サーリプッタ長老の背中を
後ろから強く打ちつけました。


しかし 
サーリプッタ長老は

見向きもしないで、
行ってしまいました。


邪見のバラモンは
全身が熱くなり、

後悔の念にかられました。

「ああ、なんと
」の高い尊者であろう!」 と。


そこで、
邪見のバラモンは、

サーリプッタ長老の
足もとにひれ伏して、

その悪い行い、
非()を詫()びました。


邪見のバラモン:
「尊者よ、どうか許してください」


サーリプッタ長老は、
非を行ったバラモンを許しました。


許しを得た
邪見のバラモンは、

サーリプッタ長老を
家に案内し、

鉢を受け取り、
托鉢食(たくはつじき)を施(ほどこ)しました。



人々は、
サーリプッタ長老を打った

邪見のバラモンに激しく怒り、
激怒(げきど)して、

石や棒を手にして、
彼の家の入口に立っていました。


そして、邪見のバラモンが
鉢を持って、

サーリプッタ長老と一緒に
出てくるのを見て、

長老に言いました。


人々:
「尊者よ、
ご自分の鉢をお受け取りになり、

バラモンを家に戻してください!」


サーリプッタ長老:
「皆さん、どうしたのですか?」


人々:
「尊者よ、
長老を打った邪見のバラモン、

この奴(やつ)に
思い知らせてやります!」


サーリプッタ長老:
「皆さん、彼はすでに
謝(あやま)っています」


サーリプッタ長老は
このように言って、

人々を穏(おだ)やかに宥(なだ)めて、
精舎に戻りました。


やがて、
その事を知った修行僧たちは、

サーリプッタ長老のとった
処置(しょち)に不満をもらしました。


ブッダは、言われました。

ブッダ:
「修行僧たちよ、確かに
在家のバラモンによって、

沙門のバラモンが、
打ちつけられる事はあるでしょう。


しかし 
沙門のバラモンが、

他のバラモンを
打ちつける事はありません。


なぜなら、

沙門・バラモンの怒りは
「不還道(ふげんどう)」によって

破壊(はかい)されて
しまっているからです」 と。




【教え】

「バラモンのこの利は
些細(ささい)ではありません」とは。

漏尽者・阿羅漢は、
怒る者に対して、怒り返しません。

また、
打ちつける者に、打ち返しません。


それ故に、
漏尽者・阿羅漢・バラモンの

勝れた「」は、
少ないものではありません。


なぜなら、
煩悩の滅し尽くした人は、

あらゆるものは
「愛(いと)しいもの」として

怒りを起こしません。


そのように心を抑えて、
心を防ぎ護る事や、

怒りによって起こる心を、

調える事の
」は極めて大きいからです。



「苦しみは静まります」とは。

傷つけ害する心、怒る心は、
聖者の境地の上から2番目の

「不還道(ふげんどう)」によって、
次つぎと断たれます。


それによって、
行ったり来たりする

「6つの世界」
「天上・人間・地獄・餓鬼・畜生・修羅」:

「輪廻」の苦も、
すべて消えて無くなります。



確かに 
怒りは、
愛(あい)する事からも、

憎(にく)む事からも
起こります。


愛と憎しみ、
愛憎(あいぞう)を

離れた時、
貪りも怒りも消えます。


しかし それは
智慧と慈悲」と

忍耐」に支えられたものです。



「慈悲」の練修は、

対極にある「怒り」を調え、
克服する事にあります。


「苦しみの滅尽」の実践は、
忍耐・忍辱の練修が大事です。





Ⅱ 第282回「ダンマパダ388」

Dhp388蓮の蕾


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句388」

悪(あく)を

除(のぞ)いた人だから
「バラモン」と


寂静(じゃくじょう)の
行(ぎょう)の人だから

「沙門(しゃもん)」と
言われます


自分自身(じぶんじしん)の

垢(あか)を
追()い出()す人は

「出家(しゅっけ)」と
言われます





【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】あるバラモンの出家者





【原因と結果】

あるバラモンは、
ブッダの教えとは異なる、

異教の教えのところで
出家して、思いました。

「沙門ゴータマは、

自分の弟子たちを
『出家』と呼んでいる。


私もバラモンの生まれだから
『出家』と呼んでもいい」 と。


そのバラモンは、
ブッダのところへ行って、尋ねました。


バラモン:
「尊者よ、私は
バラモンの生まれです。

異教の教えのもとで
修行しているので、

ブッダの教えとは
違うけれど、

私も出家と
呼んでいいですよね」


ブッダは、答えられました。

ブッダ:
「バラモンよ、
タターガタは、

その事だけで
出家とは言いません。


出家とは、
すべての煩悩の垢(あか)を

追い出しているからこそ
『出家』と言われるのです」 と。




【教え】

「バラモンと言われます」とは。

悪・不善が
完全に除かれている

「バーヒタ」だから「バラモン」です。


「沙門(しゃもん)」とは。

寂静(じゃくじょう)の行、
即ち、

一切の不善を鎮(しず)めて

「サーメーティ」行う人だから
「サマナ」[沙門]と言われます。



「出家」とは。

自分自身の

貪り・怒り・
気づきのない愚かさ=煩悩の

「垢」を追い出して
除去する人です。

それら煩悩の
垢を追い出す

「パッバージャナ」だから
「パッバジタ」[出家]と言われます。



最も大切な事は、
出家者・修行僧・比丘(びく)として、

ブッダの「教え・法」を
練修していく事。



その生き方は、
小欲知足」であり、

しかも
気高(けだか)く、

「高潔(こうけつ)」な暮しを、

自分自身が
実行していく人です。



私たちは、自分自身の
未来に向かって

目的」を実行するのに
勇気」が要()ります。




Ⅱ 第281回「ダンマパダ387」

Dhp387ガンダーラの仏像


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句387」

太陽(たいよう)は
昼(ひる)に輝(かがや)き

月(つき)は
夜(よる)に照()らし

王族(おうぞく)は
武具(ぶぐ)をつけて輝き

バラモンは、坐禅瞑想
(ざぜんめいそう)をして輝きます


仏(ほとけ)・ブッダは
威光(いこう)によって

昼も夜も輝きわたります





【場所】ミガーラマーター殿堂(鹿子母講堂 ろくしもこうどう)

【誰のこと】アーナンダ長老に答えて





【原因と結果】

雨安居(うあんご)

[雨期3ヶ月間の屋内での修行]の
終了式の日の事です。


コーサラ国のパセーナディ王は、
豪華な飾りを身につけ、

香などを持って
精舎へ行きました。


カールダーイー長老は、

大勢の人(会衆 えしゅ)に
囲まれて坐っていました。

けれども「坐禅瞑想」
「禅定」に入っていて、

身体は、素晴らしい
黄金色に輝いていました。


その時、月が昇り、
太陽が沈んで行きました。


アーナンダ長老は、

沈む太陽と、
昇る月の輝きを眺めつつ、

国王の身体の輝き、

長老の身体の輝き、

更に、
ブッダの身体の輝きを眺めていました。



その中にあって、
ブッダは、

あらゆる輝きを圧倒して、
光り輝いていました。


アーナンダ長老は、
ブッダを礼拝して、こう申しあげました。

アーナンダ長老:
「尊師よ、

今眺めております輝きの中で、
世尊の輝きこそ

真(まこと)に素晴らしく、
すべてを圧倒しているように思います」


ブッダは言われました。

ブッダ:
「アーナンダよ、
太陽は昼に輝き、

月は夜に照らし、

王は飾りをつけた時に、

漏尽者(ろじんしゃ)は、

大勢の人(会衆 えしゅ)との
交わりを捨てて、

「坐禅瞑想」「禅定」に
入っている時に輝きます。


けれども、
諸(もろもろ)のブッダは、

昼にも夜にも
「五種の威光」によって輝きます」 と。




【教え】

「バラモンは坐禅瞑想をして輝きます」とは。

煩悩を滅し尽くした漏尽者・
阿羅漢という「バラモン」は、

独り静かに坐って
「坐禅瞑想」「禅定」に入って、輝きます。



「ブッダ・仏は、威光によって輝きます」とは。

正自覚者である
「ブッダ・仏」は

「五種の威光」によって
常に輝きわたります。



「五種の威光」:

1.「戒律の威光(いこう)」によって、
  悪い戒(誓い)の火を、

2.「徳の威光」によって、
  善い行いをする事のない(不徳)の火を、

3.「智慧の威光」によって、
  劣った智慧(劣慧)の火を、

4.「福の威光」によって、
  福を認めない(非福)の火を、

5. 「法の威光」によって、
  正しい法ではない(非法)の火を、

これらを治(おさ)めて
終了させます。



私たちにも、
目覚めた人・安らぎの人となる

智慧・慈悲の芽」が
そなわっています。



苦しみの滅尽! 少しでも!
実行するのは、自分自身です。





プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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