Ⅲ 第300回「ダンマパダ408」

ⅡDhp408菖蒲


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句408」


荒々(あらあら)しく
ならないで

教授(きょうじゅ)します


真実(しんじつ)の
言葉(ことば)だけを

語(かた)って

誰(だれ)をも
害(がい)する事の無い人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ヴェール林(竹林精舎

【誰のこと】ピリンダ・ヴァッチャ長老





【教え】

なぜ今?
傷つけ害する事の無い言葉




荒々しくならない

(こころ)で思い、
発する言葉()、そして

手足や身体の行いが、
乱暴・粗暴でない事です。



教授する

教え・法」の意味を
知らせる事です。


「教え・法」の意味を知らせ
「教授する」人は

「真実の意味だけを語り」ます。



傷つけ害する事の無い言葉

語った言葉によって、
他の人を怒らせる事がありません。


魔の縛り・執着、
渇愛・欲、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩(身心を乱れさせる心の不健康)

を滅し尽くした
漏尽者(ろじんしゃ)は、

誰をも傷つけ、害する事の無い
言葉だけを語ります。




  教えるということは、
  見本となることを意味します。
  
  それは幸せな姿を
  見せることなのです。
  
  幸せに存在すること、
  心から幸福であることが最も重要です。

  幸せでないなら、
  たくさんのお金があっても何になりますか。
  
  愛する時間がないなら、
  互いに配慮し合う時間がないなら、

  毎日深い生を営む時間がないなら、
  成功したとしてもなにになりますか。

   ( 『抱擁』ティク・ナット・ハン著 現文メディア 2008)






【原因と結果】

ピリンダ・ヴァッチャ長老は、

在家者であっても、
出家者であっても

「来なさい、賤民(せんみん)よ」
「行きなさい、賤民よ」と

「賤民よ」という言葉で、
人々に話しかけていました。



ある日、修行僧たちは、
ブッダにこの事を報告しました。


ブッダは、
ピリンダ・ヴァッチャ長老を
呼び寄せられ、尋ねました。


ブッダ:
「ヴァッチャよ、
あなたは、

人々にも、修行僧たちにも
『賤民よ』という言葉で

話しかけているそうですが、
本当ですか?」


ピリンダヴァッチャ長老:
「尊師よ、はいそうです」



そこで
ブッダは、

ピリンダヴァッチャ長老の
過去世について

心を集中し、
思惟(しゆい)されました。


そして言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、あなたたちは

ヴァッチャ長老に、
腹を立ててはなりません。


ヴァッチャ長老は、
悪意があって

『賤民よ』という言葉で
話しているのではないからです。


ヴァッチャ長老は、
これまで

500回続いてきた生まれが、
すべてバラモンの家であったため、

長い間『賤民よ』という言葉に
馴染(なじ)んでいるのです。


煩悩の滅し尽くした
漏尽者(ろじんしゃ)には、

粗暴(そぼう)で、
粗悪(そあく)な、

他人を苦しめるような言葉は
ありません」 と。








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Ⅲ 第299回「ダンマパダ407」

Dhp407芥子種


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句407」


錐先(きりさき)から
落()ちる

芥子種(からしたね)のように

貪(むさぼ)り
瞋(いか)り
慢心(まんしん)
覆(おお)い

これらが
離(はな)れ落ちている人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ヴェール林(竹林精舎

【誰のこと】マハーパンタカ長老





【教え】

なぜ今?
呼吸・生命を生きる




芥子種のように

点のような
芥子種(からしだね)の粒は、

鋭い錐(きり)の先に
留まっている事はできない。



芥子種が、
錐先に留まらないように、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩(身心を乱れさせる心の不健康)を

留めておく事の
無い人の事です。


また
愛着・慢心・我見」の無い人です。



覆(おお)い

他の人の「」を、

まったく
見えなくしてしまう事。


「徳」の塗り潰しを
特徴とする事です。



離れ落ちている人

覆いを、
心に留める事の無い人。


逆に、他の人の「」を
称(たた)える人です。


そのような人は、
息(自らの心)・呼吸に集中し、

現在の瞬間に気づき、
拠()りどころを発見する。


貪・瞋・痴」を出たという
資産の持ち主になります。



資産のもち主

生命(いのち)を
きらきらと輝かして、

本来の生命を
取戻す事のできた人です。


生命の基礎になるのは、
呼吸です。

自然に吸う息、吐く息、
即ち、

呼吸」があってこそ私たちは、
生命を生きる事ができます。






【原因と結果】

マハーパンタカ長老は、
出家して努力精進し、

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達していました。


弟のチューラパンタカにも、
この安らぎに達するように、

と願って、
弟を出家させました。



けれども
弟は、出家してから

4ヶ月が過ぎても
「ブッダの教え・法」の

たった「一つの詩」も
理解する事ができませんでした。



そこで
兄のマハーパンタカ長老は、

弟のチューラパンタカに
言いました。


マハーパンタカ長老:
「チューラパンタカよ、
お前はこの

「教え・法」の修行僧団に
留まる事はできない。


この僧団から出て行きなさい!」


このように言って、
弟チューラパンタカを

精舎から追い出し、
門を閉じてしまいました。



修行僧たちは、話を始めました。


修行僧たち:
「友たちよ
マハーパンタカ長老は、

弟のチューラパンタカを、
修行僧団から追い出してしまった。


煩悩の滅し尽くした

漏尽者たちにも、
怒りが起こるのであろうか?」



その時、ブッダが現われ、
言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、
漏尽者たちに、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩はありません。


わが息子マハーパンタカは、
教えの意味を尊重し、また

真理・法」を尊重する事によって、
そのようにしたのです」


そしてブッダはこの詩
「法句407」を唱えられました。



なお、弟チューラパンタカは、
ブッダによって僧団に引き止められ、

ブッダに教え導かれた通りに、
懸命に努力しました。


やがて、捉(とら)われが、
解けて無くなり、

自由に解放されました。

喜びと幸せに満たされました。


そして「道を極めた」境地の
「阿羅漢果」に達しました。
     (チューラパンタカについては「法句25」参照)



ブッダは、後に
チューラパンタカにちなんで、
弟子たちに言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、

この「教え・法」のもとで
精進努力する人は、

貪・瞋・痴=世間の法を出た」という
資産の持ち主になります」 と。








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Ⅲ 第298回「ダンマパダ406」

ⅡDhp406姫沙羅3


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句406」


逆(さか)らう者たちに
逆らわず

棒(ぼう)をもつ者たちに
心穏(こころおだ)やかに

執着(しゅうちゃく)する者たちに
執着しない人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】四人の沙弥(しゃみ 二十歳未満の修行僧)





【教え】

なぜ今?
自分も他の人をも大事に




逆らう者

(こころ)に思い、
思った事を(言葉)、あるいは、

手足・身体によって
傷つけ害する、敵意のある者です。



逆らわず

世俗世界の人たちの中にいても、
暴力を用いる者たちに、

棒や刀を手にして、
傷つけられ、害されても、

自分自身は他の人を打ちつけ、
害する事がありません。


ですから、
棒をもつ者たちに心穏やかに

「棒をもつ」という
暴力を放棄(ほうき)しているのです。



執着する者たち

自分自身の身体と心の
5つの集まり「五蘊」:

「色・受・想・行・識」
について

愛着・慢心・我見で
捉える人がいます。


愛着・慢心・我見によって
「自分自身」を

あらゆる行いの作用の主、と
しっかりと捉える人たちです。



執着しない人

「執着する者たち」の中にあって
「五蘊」を

愛着・慢心・我見で捉えないで
3つの相」で観る人です。



3つの相

 「無常の相
 「苦(不安定)の相
 「無我の相



 1. 生じたものは滅する性質のもの。
   常に変化しています(無常の相)。


 2. 「原因と結果の法則」を理解します―
   常に変化しているから、
   安定し続ける事は難(むずか)しい(苦の相)。


 3. 我見―私の考え
   愛着―私のもの
   慢心―私がいる

   これらの「私・自己」という固定したものは無い。


   これらは実体のないもの、
   だから無い、と気づきます。


   他から独立した我(自我)があるという
   考えが捨てられたら、
  
   すべてのものが相互に関わり合って、
   自然(じねん)に
   他とともに生きている事を知ります。


   私たちは、
   他のものに支えられて生きています(無我の相)。




自分自身の身体と心
「五蘊」に「執着しない人」は、

自分自身も、
他の人をも大事にする

智慧」に満ちた「慈悲」を
大切にする人です。






【原因と結果】

あるバラモンの妻が、
四人の修行僧と決めて、

食事の供養を用意して、
夫のバラモンに言いました。


バラモンの妻:
「あなた、
精舎へ行って、

大長老と言われる
老大(ろうだい)バラモン四人を

指定していただき、
お連れしてください」


夫のバラモンは精舎へ行き、
そこで精舎からは、

サンキッチャ、バンディタ、ソーパカ、
レーヴァタ(カディラヴァニヤ・レーヴァタ)という、

煩悩の滅し尽くした漏尽(ろじん)の
阿羅漢ではあるけれど、

まだ七歳の沙弥(しゃみ)たちが、
案内されて来ました。



バラモンの妻は、
立派な座を用意して待っていました。


けれども、
まだ七歳の沙弥たちを見て、

腹を立て、
怒りに震えました。


バラモンの妻:
「あなた、
精舎へ行きながら、

まるでご自分の
孫にもならないような、

四人の子供を連れて来るなんて!

さあ、あなた、
大長老と言われる

老大バラモンを
お連れしてきてください!」


バラモンの妻は、
このように言って、

四人の沙弥には、
粗末な椅子を出して座らせました。


再び、夫のバラモンは
精舎へ行き、

サーリプッタ長老を
案内してきました。


サーリプッタ長老は、
沙弥たちに、まだ

食事の供養が
されていない事を知ると、

自分のための
供養の鉢を戻させました。


サーリプッタ長老
「バラモンよ、
食事の供養は、
沙弥たちにされるべきです」

このように言って出て行きました。


次に夫は、
マハーモッガッラーナ長老を
案内してきました。


マハーモッガッラーナ長老も
また、

サーリプッタ長老と同じように言って、
出て行きました。



ところで、沙弥たちは、
朝早くから

何も食べていなかったので、
空腹のまま座っていました。


確かに
まだ、七歳の沙弥たちでした。


しかし 
漏尽の阿羅漢である、
彼ら沙弥の「徳の力」によって、

神々の王・帝釈天(サッカ)の座が、
熱くなりました。


帝釈天は心を傾けると、

沙弥たちが空腹のため、
疲れている事を知りました。


そこで、
帝釈天は、

老大バラモンに身を変えて、
そのバラモンの家に現れました。


そして、四人の沙弥に
五体投地(ごたいとうち)をし、

結跏趺坐(けっかふざ)をして
坐りました。


これを見たバラモンの妻は
不機嫌になり、

夫と一緒に、帝釈天を掴(つか)んで
追い出そうとしました。


そこで帝釈天は、
自分の正体を明かしました。


直ちに、
四人の沙弥と帝釈天に、

食べ物の供養が
なされました。


食べ物を受け取ると、

沙弥の一人は屋根の頂上を、
一人は屋根の前方を、

一人は屋根の後方を貫通し、
一人は地に潜(もぐ)り、

帝釈天もまた、
1つの場所から出ていきました。


そのため、後にその家は
「5つの穴の家」と呼ばれました。



さて、
四人の沙弥は精舎に戻ると、

修行僧たちから、
バラモンの家での出来事について

尋ねられ、問われました。


修行僧たち:
「友たちよ、
そのようにされて、

あなたたちは
怒らなかったのですか?」


沙弥たち:
「友たちよ、
私たちは怒りませんでした」


これを聞いた修行僧たちは、
ブッダに申しあげました。


修行僧たち:
「尊師よ、
この長老たちは、

真実ではない事を語り、
事実とは別の事を説明しております」


ブッダは言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、
煩悩が滅し尽くしている
漏尽者(ろじんしゃ)は、

逆(さか)らわれても、
逆らう事が無いのです」 と。








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Ⅲ 第297回「ダンマパダ405」

Dhp405岩弁慶


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句405」


動(うご)くものにも
動かないものにも

生()きものに
暴力(ぼうりょく)を

加(くわ)えず
殺さず、殺させない人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】ある修行僧





【教え】

なぜ今?
傷つけず、害する事なく




動くもの

渇愛(かつあい)・
執着・欲があり、

震(ふる)えるから
「動くもの」です。



動かないもの

渇愛・執着・欲が無く、
心がしっかり定まっていて、

動かず堅固
(けんご)だから

「動かないもの」です。



生きものに暴力を加えず

すべての生きものを
傷つける事がありません。


害する事のある
「棒」をもたず、

暴力を放棄している事です。


自分自身が、

他のものを傷つけ、害する事も、
殺す事もありません。


また、
他のものが、自分自身を、

傷つけ害させる事も、
殺させる事も、無い人です。



「他を傷つけ害する者は、
出家者ではありません」


「他を悩ます者は、

沙門(しゃもん)・
修行僧ではありません」 と、

七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)を

「ダンマパダ184」で、
すでに見たとおりです。


智慧と慈悲」に満ちた
「教え・法」です。



自分自身も、他のものも、
生きものすべては、

傷つけず、害する事なく、

幸福である事を
望んでいます。






【原因と結果】

ある修行僧が、
ブッダから瞑想対象を受けて、

森で励み、聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達しました。


そこで、その修行僧は
「阿羅漢果」の境地に達した事を、

ブッダに報告しよう、と
森を出ました。



その時、

村のある女性が、
夫婦喧嘩をして

嫁ぎ先の家を出て、
実家に向かっていました。


その女性は、
長老を見て思いました。


「この長老についていこう」 と。


そして、
長老の後について行きました。


けれども、長老は、

その女性を
見る事はありませんでした。



間もなく、
その女性を追ってきた夫は、

そのような
妻を見て怪(あや)しみ、

長老を
脅(おど)しました。



その女性は、夫に言いました。


女性():
「あなた、
この尊者は

私を見てもおられないし、
話もしておられません。


何も言わないでください!」



夫はますます怒り、
長老を殴(なぐ)りつけ、

妻を
連れて帰りました。


長老は、全身が
腫()れ上()がりました。


精舎に戻ると、

修行僧たちに尋ねられ、
その出来事を話しました。


修行僧たちは、尋ねました。


修行僧たち:
「友よ、
あなたはその男に殴られて、

何も言わなかったのですか?

怒りも起こらなかったのですか?」


長老は言いました。


長老:
「友たちよ、
私には怒りが起こりません」



そこで修行僧たちは、

ブッダのところへ行き、
申しあげました。


修行僧たち:
「尊師よ、この長老は、
真実ではない事を語り、

事実とは別の事を
説明しております」


ブッダは言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、
煩悩が滅し尽くしている

漏尽者(ろじんしゃ)は、
棒を置いています。


殴(なぐ)られても、
怒る事が無いのです」 と。








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Ⅲ 第296回「ダンマパダ404」

Dhp404オオバキスミレ


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句404」


在家(ざいけ)
出家(しゅっけ)

両方(りょうほう)の人に
交(まじ)わる事なく

家(いえ)は無く
遊行(ゆぎょう)して歩(あゆ)む

小欲(しょうよく)の人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】洞窟に住むティッサ長老





【教え】

なぜ今?
信・精進・念(今の心)




小欲の人

貪欲(とんよく)は無く、
物足らぬ不足のところに

却(かえ)って満足し、
足る事を知って、喜び、楽しみます。

小欲知足(しょうよくちそく)の人です。


それは
 1.「三宝」:
  「ブッダ()」
  「ダンマ()」
  「修行僧団()」 と


 2.「原因と結果の法則」を信じる、
  「」を確立するところに現れます。





「教え・法」を深く理解する事です。

また「戒」を保つところに現れます。



4つの清浄な戒

聖者の「」によって、
汚れがとり除かれた

「4つの清浄な戒」があります。


 1.による、最上の戒「五戒」を守る防護戒(ぼうごかい)
 
 2. 精進による、生活清浄戒(せいかつしょうじょうかい)

 3. による「眼・耳・鼻・舌・身・意」6つの感覚器官の防護戒

 4. 智慧による、4つの生活必需品(衣・食・住・薬)だけを持つ
   資具依止戒(しぐえしかい)




遊行

雨期の3ヶ月間を除いて、
屋根のある家には、住みません。


一ヶ所に定住しないで、
遊行して歩きます。

家に愛着が無く、
練修修行して歩く人です。






【原因と結果】

ティッサ長老は、

ブッダから瞑想対象を受けると、
森に入りました。


森で、臥坐所(がざしょ)として
相応(ふさわ)しい所を探しているうちに、

ある洞窟(どうくつ)に
辿(たど)り着きました。


着くと同時に、
ティッサ長老は心の安定を得ました。


そこで、
ティッサ長老は思いました。


「ここに住めば、
出家者としてなすべき事が成就できる」 と。



さて、
この洞窟に棲()んでいる、
女神は考えました。


「戒律を護(まも)り、
保っている

修行僧がやって来た。


戒律を保持する修行僧と

同じ場所に棲むのは、
難しい事だ。


とはいっても、
この修行僧は、

ここに
一晩だけ泊まって、

翌日には
きっと出発するであろう」 と。


そして、
洞窟に棲んでいた女神は、

息子たちを
連れて出て行きました。



翌朝、ティッサ長老は
村へ托鉢行に入りました。


その時、
ある在家の女性信奉者が、

ティッサ長老を見て、
息子のように愛(いと)しく思いました。


その女性信奉者は、
ティッサ長老を家に案内して、

食事の供養をした後、
強く願いました。


「この雨期の3ヶ月間は、
信奉者の私に、尊者の

食事の供養、そして
お世話をさせてください」 と。


ティッサ長老は考えました。


「これによって
練修修行に専念し、

貪欲・瞋恚・愚痴の世界から、
離れ、出る事ができる!」 と。


そこで、女性信奉者に同意して、
洞窟に戻りました。



洞窟での練修修行が、
半月経ちました。


その間女神は、

洞窟に息子たちを連れて、
帰る事ができませんでした。


そこで、ティッサ長老の
「戒律」を護り、保つところに

欠点が無いか、を調べました。


けれども、
ティッサ長老の護り、保つ
「戒律」は、清浄でした。


そこで、洞窟の女神は、
ティッサ長老に出家者としては、

あってはならない
気持ちを起こさせて、

練修修行の
邪魔をしようと思いました。



洞窟の女神は、
ティッサ長老に

食事の供養をしている、
女性信奉者の息子の身体に

とり憑()いて、
首を回しました。


女性信奉者の息子の目は
虚(うつ)ろになり、

口からは
涎(よだれ)を流しました。


女性信奉者は、
それを見て叫びました。


女性信奉者:
「一体これは、なんなの!」


そこで
洞窟の女神は、

姿を見せずに
女性信奉者に言いました。


洞窟の女神:
「この子は、私に
とり憑()かれている。

祈り、捧(ささ)げ物をし、
バリ儀礼(ぎれい)を行っても効果は無い。


けれども、お前が施し、
世話をしている

長老が、
足を洗った水を

この子の頭に注ぐなら、
私は離れてやろう」


女性信奉者:
「女神よ、分かりました」


女性信奉者は、
いつもの時間に

ティッサ長老が来ると、
長老の足を洗い、

その
洗った水を取って言いました。


女性信奉者:
「尊者よ、この水を
息子の頭に注いでもよろしいでしょうか?」


ティッサ長老:
「信奉者よ、よろしい」

女性信奉者は、
長老の足を洗った水を、

息子の頭に注ぎました。


洞窟の女神は、
直(ただ)ちに息子から離れました。


そして、
洞窟の入り口に立ちました。



さて、
ティッサ長老は、

供養された
食事の務めが終わると、

その場を離れ


「髪などの32種からなる
身体の部分の観察」を

唱えながら、
洞窟の入口に着きました。


すると、
洞窟の女神は言いました。


洞窟の女神:
「偉大な医師よ、
ここに入ってはなりません」


ティッサ長老は、
立ったまま言いました。


ティッサ長老:
「あなたは誰ですか?」


洞窟の女神:
「尊者よ、私は
この洞窟の女神です」


ティッサ長老:
「女神よ、私が
医師の仕事をしたという、

理由・根拠があるのですか?」


洞窟の女神:
「尊者よ、たった今、
人間ではない、非人(ひにん)に

とり憑かれていた
男の子の頭に、

あなたの足を洗った水が、
注がれたのではありませんか」


ティッサ長老:
「女神よ、そうです。
注がれました」



すると、
ティッサ長老は思いました。


「ああ、なんと私自身

」の成就・達成を
正しく願っているのであろう!


なんと私の行いは
「教え・法」に相応(ふさわ)しいのであろう!


洞窟の女神でさえも、
私の護り、保つ

「4つの清浄な戒」に、
欠点を見つける事ができなかった。


地面を歩いた足を
洗った、あのような水を

子供の頭に、注いだ事に
清濁(せいだく)の

懸念を懐(いだ)く事は
まったく無かった。


ただそのとおりに
ありのままを見ただけであった。


[浄・不浄の感情=
分別心がまったく起こらなかった!
]」 と。


自然(じねん)に
護り、保つその「」に、

強い喜びが起こりました。


ティッサ長老は、
その感情を鎮(しず)めると、

足を動かす事もせず、
その場所で即座に、

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達しました。


そこで、
ティッサ長老は、

洞窟の女神を誡(いまし)め
諭(さと)しました。


ティッサ長老:
「女神よ、あなたは
[浄・不浄など分別心の起こらない]

清浄(しょうじょう)な沙門(しゃもん)を
汚(けが)しました。


ここに
棲()んではなりません...」 と。



ティッサ長老は、
その洞窟で

3ヶ月間の雨期を過ごした後、
ブッダのところへ行きました。


やがて、修行僧たちの間で
ティッサ長老の事が、話題になりました。


ブッダは、言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、

わが息子(ティッサ)は、
決して怒る事がありません。


ティッサには、

在家者とも、出家者とも
[社交的な]交際が無いのです。


小欲であり、
足る事を知っています
」 と。








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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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