Ⅱ 第315回「ダンマパダ423」

Dhp423阿弥陀如来


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句423」

前世(ぜんせ)の
生存(せいぞん)を知()り

天(てん)の世界(せかい)と
苦()の世界を見()て

生()まれの滅尽(めつじん)に
到達(とうたつ)し

勝(すぐ)れた智()を
成就(じょうじゅ)し

完成(かんせい)した
聖者(せいじゃ)

すべてを
成就し終()えた牟尼(むに)

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】ブッダ・牟尼・真のバラモンについて





【原因と結果】

ある時、
ブッダは風邪をひかれました。

そこで
熱湯(ねっとう)を求めて、
ウパヴァーナ長老を

デーヴァヒタ・バラモンのところへ
遣(つか)わしました。


ウパヴァーナ長老は、
デーヴァヒタ・バラモンのところへ行き、

ブッダが病気になられた事を告げて、
熱湯を求めました。


それを聞いて、

デーヴァヒタ・バラモンは
喜び、満足しました。


「真に、私には利得がある。

私のところへ
正自覚者(しょうじかくしゃ)である

ブッダが、熱湯を求められて
弟子を遣わされるとは!」 と。


デーヴァヒタ・バラモンは、

熱湯の担(かつ)ぎ棒(ぼう)を、
使用人に持つように命じ、

糖蜜(とうみつ)の入った袋を、
ウパヴァーナ長老に渡しました。



ウパヴァーナ長老は、
それを持って精舎へ行き、

ブッダに、お湯で沐浴してもらいました。


また、熱湯と糖蜜とを混ぜて、
ブッダに召し上がっていただきました。


すると、ブッダは
たちまち快復しました。


デーヴァヒタ・バラモンは
考えました。

「誰に供養・布施された施物が、
大きな果報となるのであろうか?」 と。


そこで、
デーヴァヒタ・バラモンは、

ブッダのところへ行き、
尋ねました。


デーヴァヒタ・バラモン:
「尊師よ、

誰に供養・布施された施物が、
大きな果報となるのでしょうか?」


ブッダは言われました。

ブッダ:
「デーヴァヒタ・バラモンよ、
このような

ブッダ・牟尼・バラモンへの布施こそ、
大きな果報のあるものになります」



そしてブッダは、
真のバラモンについて明らかにして、

この詩「ダンマパダ423」を唱えられました。


デーヴァヒタ・バラモンは、
心が清まり「三宝」:

「ブッダ」「教え・法」「修行僧団」に帰依して、
在家の信奉者となりました。





【教え】

「前世の生存を知り」とは。

ブッダ・牟尼(むに)は、
[菩薩(ぼさつ)として、

あらゆる波羅蜜行(はらみつぎょう)を満たし、
大きな布施(ふせ)・棄捨(きしゃ)を行い、

生きものすべてを救うための、
一切の知智(ちち)を得たという
]

前世でどのような生き方をしたのか、を
明らかにしています。



「天の世界」は、
26種などに区分されます。

「苦の世界」は
「地獄・餓鬼・畜生・修羅」の4種あります。


ブッダ・牟尼は、
これらの世界を、神通力によって、

普通では見えないものでも見透(みとお)す、
超人的な天眼によって観ます。



「生まれの滅尽」とは。

苦しみの世界に、
再び生まれる事の無い、

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達している事です。



ブッダ・牟尼は、

1. 深く理解されるべき
 「法を証智(しょうち)」し

2. 詳(くわ)しく知り尽くすべき
 「法を知悉(ちしつ)」し

3. 捨断(しゃだん)されるべき「法を捨断」し

4. 証明されるべき「法を現証(げんしょう)」し、
 成し遂げ、成就しています。



「勝れた智を成就し」とは。

「最も勝れた修行僧生活(梵行住 ぼんぎょうじゅう)」を
完成している人です。


渇愛・執着・欲、
貪り・怒り・気づきのない愚かさ=煩悩、

これら一切の煩悩を根こそぎ滅し尽くして、
阿羅漢の「道智(どうち)」を得ている人です。


また 「4つの聖者の」:
「預流道・一来道・不還道・阿羅漢道」にも、

完全に達して「智慧」を成就し、
完成している聖者です。



「すべてを成就し終えた」とは。

すべての煩悩を滅し尽くして、
終わらせ終結(しゅうけつ)しているから、です。


「牟尼」とは。

阿羅漢の
智慧と行い」をそなえて、

牟尼という「智慧」の状態に達している
寂黙者(じゃくもくしゃ)です。




ブッダの「教え・法」とは。

  「 この道は、生けるものが清まり、

    身体と心が安らぎ、

    愁いと悲しみを乗り越え、克服し、

    苦しみと悩みが、滅して消えます

        (『長部経典 第22』「大念処経」)




   すべてのものは移ろいゆきます

   怠る事なく努めて修行を完成するように

         
        ―― ブッダ最後のことば ――
          (『長部経典 第16』「大般涅槃経」)




**********
Dhammmapada「法句」26章 423詩の「教え」が完了しました。
次回からは「ダンマパダ423詩」
「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」を
仏教を学んだ事の無い人にも解るように、更に容易な言葉にして
綴って行きたいと思っております。
今も変わらない、普遍的な内容が説かれています。
お目通し賜りましたなら、嬉しく有難く存じます。 合掌





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Ⅱ 第314回「ダンマパダ422回」

Dhp422buddha.jpg


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句422」

牛王(ごおう)
最上(さいじょう)の人

勇者(ゆうしゃ)
偉大(いだい)な仙人(せんにん)

征服(せいふく)した人
不動(ふどう)の人

沐浴(もくよく)の人
覚者(かくしゃ)

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】アングリマーラ(指鬘 しまん)長老





【原因と結果】

アングリマーラは、
かつて指導を受けていた、

技芸の師匠の教えを
純真(じゅんしん)に受けとめて、

次々と殺人を犯しました。


そして、殺した人から指を切り、
その指をつないで

首飾りを作り[99人まで]、
身に着けていました。


けれども、100人目に
ブッダに出会い、

ブッダの「私は止まっている
[棒を置いている]」との言葉に、

更に、
ブッダの静けさに、圧倒されました。



ブッダは言われました。

ブッダ:
「アングリマーよ、
確かに

この世は残酷(ざんこく)に
満ちているかもしれない。


しかし
親切な人も沢山います。

目をよく開いて、見てごらん。


ブッダの「」は、
暗黒(あんこく)の闇(やみ)を、

労(いたわ)りと
優(やさ)しさと

慈(いつく)しみに
変える事ができます。


今、あなたは
憎(にく)しみの道に立っています。

止まりなさい!
その道ではなくて、

許しと理解と慈愛の
」を選ぶのです」



ブッダのこの言葉に、
アングリマーラの心が、動きました。


アングリマーラは、
すべての武器を投げ捨てました。


そして、
ブッダのもとでの出家を願い、

許されて修行僧となりました。



怠る事なく、熱心に
精進努力を積み重ねました。


やがてアングリマーラは、

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達しました。



修行僧たちは、
アングリマーラ長老に尋ねました。

修行僧たち:
「友よ、あなたは

[かつって殺人を犯した事によって]
凶暴な者たちが、あなたに

迫害を加えた事に
恐怖は無かったのですか?」


アングリマーラ長老:
「友たちよ、
恐怖はありませんでした」


そこで修行僧たちは、
ブッダのところへ行き、申しあげました。

修行僧たち:
「尊師よ、アングリマーラは、
事実とは別の事を説明しております」


ブッダは、言われました。

ブッダ:
「修行僧たちよ、

わが息子アングリマーラは、
恐れる事がありません。


なぜなら、
牛王(ごおう)である

漏尽者(ろじんしゃ)たちの中に、
わが息子に等しい、

牛王なる修行僧は、
いないからです」 と。


(アングリマーラ長老については「ダンマパダ173」も参照)




【教え】

「牛王」とは。

恐怖が無い境地です。


「最上の人」とは。

「道」を極めた、最上の境地の人です。


「勇者」とは。

勇気という
精進努力の成就によって、です。


「偉大な仙人」とは。

偉大な「戒蘊(かいうん)」などを
修めている人です。


「戒蘊」とは。

聖者の「道」によって
汚れがとり除かれた

「4つの清浄な戒」です。


「4つの清浄な戒」:
 善き意思、習慣を守る事です。

 (1):ブッダの教えを深く理解し
   「原因と結果の法」を信じる事によって

   最上の戒律・基本の防護戒=
   「五戒」を守る事です。
  
  「五戒― 不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、
   不妄語戒、不飲酒戒」を守ります。


 (2) 精勤:精進努力によって、生活を清浄に保つ戒です。

 
 (3):今の心に気づく、注意、集中力による
   6つの感覚器官
   「眼・耳・鼻・舌・身・意」を防ぎ護る戒です。


 (4). 智慧:よく観て、深く観透し観察、
   洞察・智慧の学びによって、

   修行に必要な最小限で「知足」します。


   すなわち、4つの生活必需品
   (衣・食・住・薬)だけを持つ資具依止戒(しぐえしかい)です。

   欲望を追いかけません。



「征服した人」とは。

「煩悩・蘊・行」という
3つの魔を征服している人です。



「煩悩」とは。

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩欲の事です。



「蘊」とは。

自分自身の身体と心
「五蘊」「色・受・想・行・識」です。



「行」とは。

身体・口(言葉)・意(こころ)の3つの行いです。

(しん)()()の三行」:

 1. (こころ)で思う事
 2. 思った事をにだして言うとき
 3. 思った事を手足・身体で行うとき

自分自身も他の人も傷つけないか、
自分自身も他の人も後悔しないか、を考えます。



「不動の人」とは。

渇愛・執着・欲が無い人です。



「沐浴の人」とは。

煩悩を洗い浄めている人です。




  私たちは、目を覚ます時です。
  常に目覚めている人々もたくさんいます。

  ……
  私たちはみな、自らの人生を生きなければなりません。
  ……
  
  私たちは目覚めているために必要な、
  あらゆることをしなければなりません。

  そうすれば、奇跡が起こるでしょう。

   (『抱擁』ティク・ナット・ハン著 現文メディア 2008)



私たちは、変化する奇跡です!






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Ⅱ 第313回「ダンマパダ421」

Dhp421白蓮


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句421」

前(まえ)にも後(あと)にも
中間(ちゅうかん)にも、

何(なに)も
所有(しょゆう)するものが無い

無一物(むいちもつ)であり
無執着(むしゅうちゃく)の人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ヴェール林(竹林精舎)

【誰のこと】ダンマディンナー(法授)長老尼





【原因と結果】

ダンマディンナー長老尼が、
まだ在家者であったころ、

夫のヴィサーカ信奉者は、
ある日、

ブッダのところで
「教え・法」を聞いて、

聖者の上から2番目の境地
「不還果」に達しました。


そして、ヴィサーカ信奉者は、
考えました。


「わが家の財産は、

妻ダンマディンナーに
受け取らせるべきだ」 と。


ヴィサーカ信奉者は、
以前は、

ブッダの「教え・法」を聞いて
戻って来ると、

窓から眺めている
妻の

ダンマディンナーを見て、
微笑(ほほえ)んでいました。


けれども、その日は、
窓のところに立っている

ダンマディンナーに見向きもしないで、
通り過ぎて行ってしまいました。



ダンマディンナーは、思いました。

「夫ヴィサーカは、
いったいどうしたのかしら?

でも、
食事の時に分かるでしょう」 と。


けれども、
食事の時も

ヴィサーカ信奉者は、
黙って食べました。


ダンマディンナーは、
思いました。

「何かわけがあって、
怒っているにちがいない」 と。


すると、
夫ヴィサーカは言いました。

ヴィサーカ信奉者:
「ダンマディンナーよ、

この家の財産を
すべて受け取って欲しい」


ダンマディンナーは、
思いました。

「怒っている者が、
財産を受け取らせる事は無い。

いったい何かしら?」 と。


そして言いました。

ダンマディンナー:
「夫ヴィサーカよ、

それでは、あなたさまは
どうなさるおつもりですか?」


ヴィサーカ信奉者:
「ダンマディンナーよ、
私は、これから何も考えずに、

在家の信奉者として
生きていこうと思う」


ダンマディンナー:
「夫ヴィサーカよ、
あなたさまが吐かれた唾(つば)を、

誰が受けとりましょうか?

それならば、私が
出家する事をお許しくださいませ」


ヴィサーカ信奉者:
「尊女よ、分かった」


夫ヴィサーカ信奉者は同意し、
大いなる尊敬をもって、

ダンマディンナーを

修行尼僧の僧団へ連れて行き、
出家させました。


ダンマディンナーは
「入団戒」を受けて、

ダンマディンナー長老尼と
呼ばれました。



ダンマディンナー長老尼は、
遠離(おんり)・

寂静(じゃくじょう)を求め、
遠く離れて、

修行尼僧たちとともに
地方に住みました。


間もなく、
魔の縛り・執着や、

渇愛・欲の捉われ障(さわ)り、
障害の無い「無碍解(むげげ)」とともに、

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達しました。



ダンマディンナー長老尼は
考えました。

「身内・親族たちは今では、私を
拠りどころ(依拠 いきょ)として、

功徳を積む事が、
できるにちがいない」 と。


そして、再び
ラージャガハの都に戻りました。


もと夫であった
ヴィサーカ信奉者は、

ダンマディンナー長老尼が
戻って来た事をを聞いて

「なぜ戻ってきたのだろうか?」と思い、
修行尼僧僧団へ行きました。


けれども、考えました。

「『尊尼よ、
何か不満でもあったのですか?』 と、

長老尼に尋ねる事は、
ふさわしくない」 と。


そこで、
聖者の最初の境地

「預流道(よるどう)」について
質問をしました。


ダンマディンナー長老尼は、

ヴィサーカ信奉者に
正しく答えました。


夫であったヴィサーカ信奉者は、

残りの「一来道(いちらいどう)」
「不還道(ふげんどう)」

阿羅漢道(あらかんどう)」についても
同じように、質問をしました。


確かに
ダンマディンナー長老尼は、

ここまで正確に答えました。


しかし ヴィサーカ信奉者は、
限界を超えた質問

[「涅槃」の対(つい)に関する問い]に
いたりました。


その時、長老尼は言いました。

ダンマディンナー長老尼:
「友、ヴィサーカよ、

あなたは質問を越えて進み、
逸脱(いつだつ)しています。

もしお望みなら、

ブッダのところへ行き、
この質問をするとよいでしょう」



そこで、ヴィサーカ信奉者は、
ダンマディンナー長老尼を拝して、

ブッダのところへ行き、
すべてを申しあげました。



ブッダは言われました。

ブッダ:
「ヴィサーカよ、

わが娘ダンマディンナーは、
正しく語っています。

タターガタが
この質問を受けても、

同じように答える事になります。

ダンマディンナーの
その回答は、

ブッダのものとして
受けとめるように」 と。




【教え】

「前」とは。

過去の、
自分自身の身体と心「五蘊」です。


「後」とは。

未来の、
自分自身の身体と心「五蘊」です。


「中間」とは。

現在の、
自分自身の身体と心「五蘊」です。


「過去・未来・現在」の
自分自身の身体と心

「五蘊」に対して
さし障(さわ)り、

障害(しょうがい)、
障碍(しょうげ)となるものがありません。



「所有するものが無い」とは。

妨(さまた)げ、
障害となるもの。

それは
「渇愛・執着・欲」と言う

迷妄(めいもう)の執念(しゅうねん)、
妄執(もうしゅう)です。


貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩によって

「五蘊」を所有しない事です。



「無一物(むいちもつ)」とは。

自分自身の身体と心に対する

執着を捨て去る、
放下(ほうげ)する事です。



「無執着の人」とは。

「五蘊」に対して、
どんな縛(しば)りも、

捉われも無い人[賢者]です。


自分自身を「3つの相」で観て、
その根拠を知ります。



「3つの相」とは。

無常・苦(不安定)・無我の相です。

1. 生じたものは滅する性質のもの。
  常に変化しています(無常の相)。

2.「原因と結果の法則」を理解します―
 常に変化しているから、
 安定し続ける事は難(むずか)しい(の相)。

3. 我見―私の考え
  愛着―私のもの
  慢心―私がいる

  これらの「私・自己」という
  固定したものは無い。

  これらは実体の無いもの、
  だから無い、と気づきます。

 他から独立した(自我)があるという考えが
 捨てられたら、

 すべてのものが相互に関わり合って、
 自然(じねん)に

 他とともに生きている事を知ります。

 私たちは、
 他のものに支えられて生きています(無我の相)。
 


自分自身の身体と心「五蘊」を、

 愛着(私のもの)
 慢心(私がいる)
 我見(私の考えは)で

所有するのではなく、
自由に解き放ちます。







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Ⅱ 第312回「ダンマパダ419,420」

Dhp419et420蓮の花2


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句419,420」

生()けるものの
死()と再生(さいせい)を

知()り尽()くし
執着(しゅうちゃく)無く

充分(じゅうぶん)に
行(おこな)っている

覚者(かくしゃ)



天(てん)の神々(かみがみ)も
天群(てんぐん)も

また人も

その行方(ゆくえ)を
知る事が無い

煩悩(ぼんのう)の
滅尽(めつじん)している

阿羅漢(あらかん)、その人を
バラモンと呼びます





【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】ヴァンギーサ長老




【原因と結果】

ラージャガハの都に、
ヴァンギーサというバラモンがいました。


ヴァンギーサ・バラモンは、

亡くなった人たちの頭蓋骨(ずがいこつ)を
叩(たた)いて、

「これは、
地獄に生まれ変わった者の頭蓋骨です。

これは
畜生(動物)の胎内に、

これは餓鬼の世界に、
これは人間界に、

これは、
天界に生まれ変わった者の頭蓋骨である」

と言う事が
判(わか)る者でした。



ヴァンギーサの仲間の
バラモンたちは、考えました。

「ヴァンギーサのお蔭(かげ)で、
我われはこの世界で食べて行ける」 と。


そこで、ヴァンギーサに
2枚の赤い布をまとわせて、

各地を連れて回り、
人々に言いふらしました。


仲間のバラモン:
「皆さん、
このヴァンギーサというバラモンは、

亡くなった人たちの
頭蓋骨を叩き、

生まれ変わった場所が判ります。

さあ、自分の身内・親族が、
生まれ変わっている場所を尋ねなさい!」


人々は、
10金、20金、100金も払って、

身内・親族たちの
生まれ変わっている場所を尋ねました。


バラモンたちは、このようにして
各地を渡り歩き、やがて、

サーヴァッティの都に着いて、
ジェータ林の近くに住居を構えました。


さて、彼らは、多くの人々が
朝食後に香や花輪などを手にして、

精舎へ「教え・法」を聞きに行くのを見て、
言いました。


バラモンたち:
「皆さん、
そちらへ行って何になるのですか?

私たちのヴァンギーサ・バラモンさまに、
並ぶ者はいません。

このお方は、
亡くなった人たちの

頭蓋骨を叩き、
生まれ変わった場所が判ります。

さあ、
あなた方の身内・親族が、

生まれ変わっている場所を
尋ねなさい!」


精舎へ「教え・法」を聞きに行く、
在家の信奉者たちは言いました。


在家の信奉者たち:
「バラモンよ、

ヴァンギーサに
何が、判るというのですか?

私たちの
ブッダに、並ぶお方はおりません!」


このようにして、彼らは
口論を重ねたけれど、

お互いに相手を説得する事が、
できませんでした。


そこで
「精舎へ行けば、

どちらに知識があるのか、
はっきりするでしょう」 と、

在家の信奉者たちは、
バラモンたちを連れて精舎へ行きました。


ブッダは、彼らが来る事を知り、

地獄
畜生の胎内
人間界
天界

これらの4ヶ所に生まれ変わった4者と、
漏尽者(ろじんしゃ)の、

合計5つの頭蓋骨を運ばせ、
順に置いておきました。


彼らが来ると、
ブッダは、ヴァンギーサに尋ねました。


ブッダ:
「ヴァンギーサよ、あなたは

頭蓋骨を叩き、
亡くなった人たちの

生まれ変わった場所が、
判るとの事ですが...?」


ヴァンギーサ:
「尊者よ、はい、わかります」


そこでブッダは、
これらの5つが、

どこに生まれ変わった者の
頭蓋骨かを尋ねました。


確かに
ヴァンギーサは、
4つまで正しく答えました。


しかし 
5番目の

漏尽者の頭蓋骨については、
答える事ができませんでした。


ブッダは言われました。

ブッダ:
「ヴァンギーサよ、
タターガタには判ります」


ヴァンギーサは、
ブッダに頼みました。

ヴァンギーサ
「尊者よ、私に
その呪文を教えてください」


ブッダ:
「ヴァンギーサよ、

出家していない者に、
授ける事はできません」


そこでヴァンギーサは、
仲間のバラモンたちに言いました。


ヴァンギーサ:
「友たちよ、待っていなさい。

2、3日中に
呪文を修得してきますから」


ヴァンギーサは出家し、
入団して、修行僧となりました。


ブッダは、
ヴァンギーサに

「32身分(しんぶん)」について
説き、学ばせました。


するとヴァンギーサは、
2、3日のうちに

聖者の最高の境地
「阿羅漢果」に達しました。


仲間のバラモンたちはやって来て、
ヴァンギーサに尋ねました。


仲間のバラモン:
「ヴァンギーサよ、
呪文は修得されましたか?」


ヴァンギーサは言いました。

ヴァンギーサ:
「友たちよ、あなたたちは
ここから帰りなさい。

今や私は、戻る事の無い
出家者になっています」



これを聞いた修行僧たちは、
ブッダに申しあげました。

修行僧たち:
「尊師よ、この者は、
真実ではない事を語り、

事実とは別の事を
説明しております」


ブッダ:
「修行僧たちよ、
そのように言ってはなりません。

わが息子ヴァンギーサは、
死と再生について巧みな者です」 と。




【教え】

「知り尽くし」とは。

生けるもののすべての
有様(ありさま)、状態における

滅と再生を、
明らかに知っている事です。


「執着なく」とは。

すべてについて明らかにし、
知り尽くしているので、

執着がありません。



「充分に行っている」とは。

練修修行によって、
不足・欠点なく行っている事です。


「覚者(かくしゃ)」とは。

神々と言われる
諸(もろもろ)の天や、天群なども、

その行方[完成・終結]を
知りません。


けれども
四聖諦」:

苦・集・滅・道」を覚っている人は、
覚者と呼ばれます。



「充分に行っている」とは。

自分自身の身体の
頭のてっぺんから足の裏まで、

皮膚(ひふ)を中心とし
「32の相を観察」する事です。


「32身分(しんぶん)」とは。

  髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、
  助膜、脾臓、肺臓、腸、腸間膜、胃物、大便、脳随、胆汁、痰、
  膿、血、汗、脂肪、涙、脂肪油、唾、鼻液、間接液、小便です。
                  (『長部経典 第22』「大念処経」)




  多くの人は 「今、ここ」において
  幸せに存在できる条件を限りなくもっているのです。
  ……

  そのような条件を、私たちの人生の中で
  発見できるよう助けてくれるものが、私たちの意識、

  すなわち、私たちの目覚めた心なのです。
  目覚めた心を育むことが、幸福を育むことを意味するのです。

          (『抱擁』ティク・ナット・ハン著 現文メディア 2008)





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Ⅱ 第311回「ダンマパダ418」

Dhp418白蓮


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


「法句418」

快(かい)と不快(ふかい)を
断()ち切(き)り

清涼(せいりょう)となり
依()り拠(どころ)の無い

すべての世界(せかい)を
征服(せいふく)した勇者(ゆうしゃ)

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ヴェール林(竹林精舎)

【誰のこと】今は阿羅漢であるけれど、もと舞踊師の子




【原因と結果】

この話は、先の
「ダンマパダ417」と同様です。


今は阿羅漢であるけれど、
もと舞踊師の子が、

ブッダを主とする
修行僧団僧団とともに、

托鉢行に入った時、ある
舞踊師の子が踊っているのを見て、

修行僧たちが、
その阿羅漢に言いました。


修行僧たち:
「友よ、あなたは
あの子の踊りに、

こころよい快が、
あるのではありませんか?」


その阿羅漢は言いました。

阿羅漢:
「友たちよ、いいえ、
こころよい快は、ありません」


そこで修行僧たちは、その事を
ブッダに申しあげました。

修行僧たち:
「尊師よ、彼は
真実ではない事を語り、

事実とは別の事を
答えております」


ブッダは、言われました。

ブッダ:
「修行僧たちよ、
わが息子は

快も不快も断っています」 と。





【教え】

「快」とは。

「5種の妙欲」による、
こころよい事、心にかなう事です。


「5種の妙欲」:

 1. 眼には、色(しき)
 2. 耳には、声(しょう)
 3. 鼻には、香(こう)
 4. 舌には、味()
 5. 身には、触(そく)



「不快」とは。

修行僧にとって、
森に住む事に対する不満です。


これらの「快」と「不快」を
聖者の最高の境地

「阿羅漢果」に達した人は、
断ち、捨て、離れています。



「清涼、寂静」とは。

」と「不快」を
断ち、捨て、離れていますから

「清涼、寂静」となります。



「依()り拠(どころ)が無い」とは。

煩悩の無い事です。



「すべての世界」とは。

自分自身の身体と心
「五蘊(ごうん)」のすべてです。


「五蘊」― 1つの身体と4つの精神作用

 1. (しき)― 色・形ある物質的要素、身体・肉体

 2. 感受-感じを受けとる心

 3. ― イメージを心に浮かべる事。想像。分別。判断

 4. 意思― 行い(身口意の三行の意 こころ)

 5. ― 意識(それがそれと気づく事) 認識作用



「自分自身の世界を征服した勇者」とは。

五蘊」対して
執着や「」「不快」を

きれいに
断ち、捨て、離れている人です。




過去の後悔は、捨てます。

未来を憂(うれ)う事も、手放します。

今 この瞬間を 大切に生きます。

本来の自分自身に戻ります。






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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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