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Ⅲ 第260回「ダンマパダ365,366」

ⅢDhp365et366チューリップ


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」


   
   「法句365,366」


他人(たにん)のものを

羨(うらや)む
修行僧(しゅぎょうそう)は

禅定(ぜんじょう)を
得()る事がありません


たとえ利得(りとく)が
わずかであっても

自分の利得を
蔑(さげす)まないで

生活(せいかつ)が清(きよ)く
怠(おこた)りの無い

修行僧を
天(てん)の神々(かみがみ)は

称讃(しょうさん)します






【場所】ヴェール林(竹林精舎)

【誰のこと】反逆といわれたある修行僧・比丘





【教え】

私・我は無い


自分の利得を蔑(さげす)まない人

立派な家、貧しい家に
かかわらず、

家々を順番に回り、
[たとえスプーン一杯の粥でも軽蔑しないで]

供養された
利得に満足する

「正しい托鉢行」を
する修行僧です。



天の神々は称讃する

自分自身の利得を
蔑む事なく、

坐禅瞑想・禅定:
「止」「観」に入り、

聖なる
「道」を怠る事なく努め、

聖なる
「果」の境地に達した人を、です。



「禅定」:「止」「観」が
「坐禅瞑想」の練修の基本です。


「止」―まず、静かになって
     静かに坐ります。

    息・呼吸を調えます。
    心を静めます。

「観」―次に、静かな心の中で、
    「身体・感受・心・法」を

    正しくよく観て深く観透し、
    正しく考えていきます。



正しく観るという
「観法」には、

「無常観]
「苦観」
「無我観」

の3つがあります。


無常観]:
 あらゆる「行い」は
 常に変化している、

 無常であると観ます。


苦観」:
 あらゆる「行い」は、
 常に変化しているから

 不安定(空虚・苦)
 であると観ます。


無我観」:
 あらゆる「法」は

 他から独立した私
 「自我」は無い。

 無我であると観ます。


今、この時、
自分自身がもっている

あらゆる幸せの条件を
書き出してみます。

何が見えるでしょうか?






【原因と結果】

ブッダの
修行僧団の中に、

反逆といわれた
ある修行僧がいました。


その反逆といわれた
修行僧には、

デーヴァダッタ一派の
友達がいました。

[デーヴァダッタは、
ブッダに代わって僧団を

指導しようとしたけれど、叶わず、
自分で僧団を作りました
]


その反逆といわれた
修行僧は、

反逆一派の友達が、
他の修行僧たちと

托鉢行をして

帰って来るのを見て、
尋ねました。


反逆といわれた修行僧
「友よ、
どこへ行っていたのですか?」


反逆一派の友達
「友よ、これ、これの場所へ
托鉢行に行っていました」


反逆といわれた修行僧
「友よ、托鉢食は
[満足に]得られましたか?」


反逆一派の友達
「友よ、はい、得られました。

この地では、
我われに大きな

利得や尊敬があります。


ここに2、3日留まって、

我われと一緒に
住んではどうですか?」


反逆といわれた修行僧は、

友達のその言葉に従って、
2、3日そこに滞在しました。


それから、
自分の住んでいる、

ブッダの修行僧団へ
帰って来ました。


そこで修行僧たちは、

ブッダに
この事を申しあげました。


ブッダは、その反逆といわれた
修行僧を呼び寄せ、

その事を確認されてから、
言われました。


ブッダ
「修行僧よ、あなたは
現に、反逆する者たちの

一人である友達のところに
滞在しました。


その事は、
たとえあなたが、

反逆者たちの
意見を好まなくても、

反逆者たちの意見を
取り入れた事と

同じになるのです。


それは、
ブッダの「教え・法」を

無視して
行動した事になるのです。


あなたは、
今だけではなく、

過去においても
同じような事をしました」


ブッダは、それを
明らかにするために、

その修行僧の過去が、
マヒラームカ象であった話を

引き出されて、
詳しく語られました。



「 初めは
  盗賊の言葉を聞いたため

  マヒラームカは、
  殺しに従事しました。

  けれども、
  智者の言葉を聞いて後は

  最上の象となり、
  あらゆる徳に安住しました 」
 (「マヒラームカ象本生」『ジャータカ』第26話)



ブッダは、
更に説かれました。


ブッダ
「修行僧は、
自分自身の

利得(供養・布施されたもの)だけに
満足するべきであり、

他の人が得る
利得や尊敬を、

願ってはなりません。


他の人の得る
利得や尊敬を願う者には

「禅定・観・道・果」のうちの

一つの「法」も生じる事が
ありません。


ひたすら、
自分自身の

利得(自分に、供養・布施されたもの)に
満足する人にだけ、

「禅定・観・道・果」が
生じるからです」 と。








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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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