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Ⅲ 第271回「ダンマパダ377」

Dhp377ジャスミン


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句377」


ジャスミンの花(はな)が
萎(しお)れた

花々(はなばな)を
捨()て去()るように


まさにそのように

貪(むさぼ)りと怒(いか)りを
捨て去るがよい





【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】500人の修行僧(比丘)





【教え】

なぜ今?
執着、渇愛・欲を追いかけない



萎れた花々を捨て去るように

ジャスミンの花[びら]は、
咲いたその日の夕方には、

自らが、茎(くき)から
離れ落ちてしまいます。


翌日には、
萎(しぼ)んだものも、

自らが茎から放して、
捨ててしまいます。



貪りと怒りを捨て去る

ジャスミンの花[びら]が、

自ら、茎から離れ、
そして、捨て去るように、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩などの

汚(けが)れを
自ら捨てて、

魔の縛り・
執着から脱するのです。


また、
悪い友と親しくならない事です。



2つの求め

修行僧たちが、
集まった時には

「2つの行う事」があります。

 1. 聖なる沈黙である「坐禅瞑想」をする
 2. 言葉を発する時は「法の話」をする。
         (『中部経典 第26』「聖求経」)


やがて、
貪り・怒り・気づきのない愚かさ=

煩悩(身心を乱れさせる心の不健康)
から離れます。


魔の縛り・執着、
渇愛・欲を

追いかけないようになります。



   私たちは
   言葉で存在するのではありません。
   
   私たちの行動、
   私たちの行動の仕方が、

   私たちの存在を表しています。
    (『抱擁』ティク・ナット・ハン著 現文メディア2008)






【原因と結果】

500人の修行僧は、

ブッダのもとで
「瞑想対象」を受けて、

森で
「坐禅瞑想」を練修する

「沙門法(しゃもんほう)」を
行いました。


修行僧たちは、
早朝に咲いた

ジャスミンの花々が、
夕方には、茎(くき)から

離れ落ちるのを見て
「坐禅瞑想」に励みました。


「花々よ、
お前たちが、

茎から離れ落ちる前に、
私達は、

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩を離れるであろう」 と。



ブッダは、
その修行僧たちを

[何でも観とおす眼力によって]

観られて、
次のように言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、

花は、自らが
茎から離れ落ちるように、

修行僧は
「行ったり来たりする6つの世界」:

[天上・人間・地獄・餓鬼・畜生・修羅]
の苦しみから離れられるように、

精進努力する事です」


そして、
ご自分の住まい・

香房(こうぼう)に
坐られたまま、光を放たれて

この詩
「法句377」を唱えられました。








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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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