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Ⅲ 第274回「ダンマパダ381」

Dhp381菩提樹


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句381」
 

仏(ほとけ)・
ブッダの教(おし)えに

心が清(きよ)まり
喜(よろこ)びに

満()ちている
修行僧は


諸(もろもろ)の
行(おこな)いが

寂滅(じゃくめつ)し

安(やす)らいで
楽(らく)のある

寂静(じゃくじょう)の
境地(きょうち)に達(たっ)する






【場所】ヴェール林(竹林精舎)

【誰のこと】ヴァッカリ長老





【教え】

なぜ今?
生きているのは、今、この瞬間



ブッダの教えに心が清まり

ブッダの「教え・法」を練修し、
心が清まっている人は、

諸(もろもろ)の行いを
作り出す、

自分自身の身体と心が、
安らいで

「寂静であり安らいで楽」
という

「寂静の境地」に達します。



喜びに満ちている

貪り・怒り・気づきのない愚かさ=
煩悩

(身心を乱れさせる心の不健康)が、
根こそぎ滅し尽くした

安らぎ、楽のある、
解放された

自由な境地「涅槃」に
到達するからです。



確かに
ブッダの姿を、

眼で見る事ができたなら、
それは有り難い事です。


しかし
ブッダの「教え・法」を

智慧」で観る事は、
さらに、有り難いのです。



「安らぎ、楽のある、解放された
 自由な境地に到達する道」:

 1. 現在の、瞬間に自分自身を引き戻します。

 2. 現在の、この瞬間にしっかり生きる事ができると、
   過去の事を後悔したり、執着したり、
  
   あるいは、未来の事について、心配したり、
   恐れる事から解放されます。

 3.私たちが 生きているのは、
   今、この瞬間
です。





【原因と結果】

ヴァッカリ長老は、

サーヴァッティの都の、
バラモンの家に生まれました。


成長した時、
ブッダが、

家に
托鉢行に入られたのを見て、

ブッダのその素晴らしい姿に、
魅()せられてしまいました。


ヴァッカリは思いました。


「ブッダの側にいて、いつも
ブッダを見つめていたい」 と。


そして、彼は出家しました。


出家して以来、
ヴァッカリは

」を、声を出して読む
「読誦(どくじゅ)」も、

坐禅の瞑想対象も、
考えをめぐらせる

思惟(しゆい)なども放棄し、
ただ、

ブッダを眺める事だけで、
過ごしました。



ある時、ブッダは
ヴァッカリの「智慧」が

熟している事を知られ、
教え、誡(いまし)められました。


ブッダ:
「ヴァッカリよ、

仏・ブッダの
身体を見ていても、

どうなるものではありません。


「法」を見る人が

仏・ブッダを見るのです」



けれども、
ヴァッカリは、なお

ブッダを
見つめてばかりいました。


そこでブッダは、
ヴァッカリに

「教え・法」を練修する心を
起こさせようと、

3ヶ月の雨安居の間、
ヴァッカリを遠ざけました。


ヴァッカリは考えました。

「ブッダは、私に
声をかけてくださらない。

生きていて何になろう。
この身体を山から投じよう」 と。


そして、彼は
鷲峰山(じゅぶぶせん)に登りました。


ブッダは、
ヴァッカリの

疲労の具合(度合)を
察知されて、彼に

ご自分(ブッダ)の姿を見せるため、
光を放たれました。


そしてヴァッカリに、
大きな喜びと満足を起こさせて、

この詩
「法句381」を唱えられました。


ヴァッカリは、
ブッダの唱えられたこの詩に

心を集中しました。


やがて、
貪り・怒り・気づきのない愚かさ=

煩悩がすべて解かれて、
障害となるものが何も無い、

無碍解(むげげ)とともに
「阿羅漢果」に達しました。








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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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