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Ⅲ 第298回「ダンマパダ406」

ⅡDhp406姫沙羅3


「ブッダの語ったとされることばに最も近い教え」



   「法句406」


逆(さか)らう者たちに
逆らわず

棒(ぼう)をもつ者たちに
心穏(こころおだ)やかに

執着(しゅうちゃく)する者たちに
執着しない人

その人を
バラモンと呼びます






【場所】ジェータ林(祇園精舎)

【誰のこと】四人の沙弥(しゃみ 二十歳未満の修行僧)





【教え】

なぜ今?
自分も他の人をも大事に




逆らう者

(こころ)に思い、
思った事を(言葉)、あるいは、

手足・身体によって
傷つけ害する、敵意のある者です。



逆らわず

世俗世界の人たちの中にいても、
暴力を用いる者たちに、

棒や刀を手にして、
傷つけられ、害されても、

自分自身は他の人を打ちつけ、
害する事がありません。


ですから、
棒をもつ者たちに心穏やかに

「棒をもつ」という
暴力を放棄(ほうき)しているのです。



執着する者たち

自分自身の身体と心の
5つの集まり「五蘊」:

「色・受・想・行・識」
について

愛着・慢心・我見で
捉える人がいます。


愛着・慢心・我見によって
「自分自身」を

あらゆる行いの作用の主、と
しっかりと捉える人たちです。



執着しない人

「執着する者たち」の中にあって
「五蘊」を

愛着・慢心・我見で捉えないで
3つの相」で観る人です。



3つの相

 「無常の相
 「苦(不安定)の相
 「無我の相



 1. 生じたものは滅する性質のもの。
   常に変化しています(無常の相)。


 2. 「原因と結果の法則」を理解します―
   常に変化しているから、
   安定し続ける事は難(むずか)しい(苦の相)。


 3. 我見―私の考え
   愛着―私のもの
   慢心―私がいる

   これらの「私・自己」という固定したものは無い。


   これらは実体のないもの、
   だから無い、と気づきます。


   他から独立した我(自我)があるという
   考えが捨てられたら、
  
   すべてのものが相互に関わり合って、
   自然(じねん)に
   他とともに生きている事を知ります。


   私たちは、
   他のものに支えられて生きています(無我の相)。




自分自身の身体と心
「五蘊」に「執着しない人」は、

自分自身も、
他の人をも大事にする

智慧」に満ちた「慈悲」を
大切にする人です。






【原因と結果】

あるバラモンの妻が、
四人の修行僧と決めて、

食事の供養を用意して、
夫のバラモンに言いました。


バラモンの妻:
「あなた、
精舎へ行って、

大長老と言われる
老大(ろうだい)バラモン四人を

指定していただき、
お連れしてください」


夫のバラモンは精舎へ行き、
そこで精舎からは、

サンキッチャ、バンディタ、ソーパカ、
レーヴァタ(カディラヴァニヤ・レーヴァタ)という、

煩悩の滅し尽くした漏尽(ろじん)の
阿羅漢ではあるけれど、

まだ七歳の沙弥(しゃみ)たちが、
案内されて来ました。



バラモンの妻は、
立派な座を用意して待っていました。


けれども、
まだ七歳の沙弥たちを見て、

腹を立て、
怒りに震えました。


バラモンの妻:
「あなた、
精舎へ行きながら、

まるでご自分の
孫にもならないような、

四人の子供を連れて来るなんて!

さあ、あなた、
大長老と言われる

老大バラモンを
お連れしてきてください!」


バラモンの妻は、
このように言って、

四人の沙弥には、
粗末な椅子を出して座らせました。


再び、夫のバラモンは
精舎へ行き、

サーリプッタ長老を
案内してきました。


サーリプッタ長老は、
沙弥たちに、まだ

食事の供養が
されていない事を知ると、

自分のための
供養の鉢を戻させました。


サーリプッタ長老
「バラモンよ、
食事の供養は、
沙弥たちにされるべきです」

このように言って出て行きました。


次に夫は、
マハーモッガッラーナ長老を
案内してきました。


マハーモッガッラーナ長老も
また、

サーリプッタ長老と同じように言って、
出て行きました。



ところで、沙弥たちは、
朝早くから

何も食べていなかったので、
空腹のまま座っていました。


確かに
まだ、七歳の沙弥たちでした。


しかし 
漏尽の阿羅漢である、
彼ら沙弥の「徳の力」によって、

神々の王・帝釈天(サッカ)の座が、
熱くなりました。


帝釈天は心を傾けると、

沙弥たちが空腹のため、
疲れている事を知りました。


そこで、
帝釈天は、

老大バラモンに身を変えて、
そのバラモンの家に現れました。


そして、四人の沙弥に
五体投地(ごたいとうち)をし、

結跏趺坐(けっかふざ)をして
坐りました。


これを見たバラモンの妻は
不機嫌になり、

夫と一緒に、帝釈天を掴(つか)んで
追い出そうとしました。


そこで帝釈天は、
自分の正体を明かしました。


直ちに、
四人の沙弥と帝釈天に、

食べ物の供養が
なされました。


食べ物を受け取ると、

沙弥の一人は屋根の頂上を、
一人は屋根の前方を、

一人は屋根の後方を貫通し、
一人は地に潜(もぐ)り、

帝釈天もまた、
1つの場所から出ていきました。


そのため、後にその家は
「5つの穴の家」と呼ばれました。



さて、
四人の沙弥は精舎に戻ると、

修行僧たちから、
バラモンの家での出来事について

尋ねられ、問われました。


修行僧たち:
「友たちよ、
そのようにされて、

あなたたちは
怒らなかったのですか?」


沙弥たち:
「友たちよ、
私たちは怒りませんでした」


これを聞いた修行僧たちは、
ブッダに申しあげました。


修行僧たち:
「尊師よ、
この長老たちは、

真実ではない事を語り、
事実とは別の事を説明しております」


ブッダは言われました。


ブッダ:
「修行僧たちよ、
煩悩が滅し尽くしている
漏尽者(ろじんしゃ)は、

逆(さか)らわれても、
逆らう事が無いのです」 と。








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プロフィール

ふつ庵

Author:ふつ庵
「茶室で坐る坐禅と一服の茶 
そして ブッダのことのはをまねぶ庵」庵主

2,500年前
「ブッダの説いた教え」
「法の句」を物語ります。

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